気高き牝奴隷が抗い続けた果てに……
【2】諦めないモノ
翌朝、瀬里奈が逃亡をしたとの知らせを紫堂は朝食を食べながら受けていた。
その前からすでに基地内は騒がしくなっており、招集を受けた兵士らが忌々しそうに悪態をついていた。
漏れ聞こえてくる会話から、瀬里奈が脱走を試みたのがこれが初めてでないのがうかがえる。
捕まるたびに激しい折檻を受けており、彼女の柔肌に刻まれていた虐待のあとはその名残なのだ。
「鞭打ちで肌は裂け、焼きゴテを押し付けられ、それでもまだ脱走を企てるか……」
清楚なイメージで売り出していた元美人アナウンサーの惨めな性奴姿と、それでも気丈に睨み返してきた昨日の様子を思い出して紫堂は口元を綻ばせる。
窓からは一人の女を追うには大げさすぎる数の人員が集められているのが見えた。怒り心頭といった様子の司令官によって、兵士らは出立していく。
車両によって先回りして頭を押さえた上で、軍用犬を従えた兵士たちによって狩り立てようというのだ。普通に考えて彼女の逃亡は失敗するだろう。
その上、すでに何度も逃亡を企ている瀬里奈は、他の性奴たちの見せしめにも処刑されるに違いない。
「さて、どこまで頑張れるか見させてもらおうか」
食後のコーヒーの薄すさに眉を顰めながら、紫堂は懐から取り出した葉巻で優雅に一服を愉しむのだった。
当初はすぐに発見されると予想されていた瀬里奈の探索であったが、意外に難航することになった。
彼女の痕跡は少し離れた河でプッツリと途絶えていたのだ。その為に軍用犬を使った追跡が継続できなくなっていた。
濁りきった河は船舶が往来できるほどは深さがある。そのまま泳いで下るにしても体力の限度もあるだろう。
どこかで再上陸しているだろうという予測で捜索隊は河の両岸に展開して下流と上流に分かれて移動を開始した。
女の体力では稼げた逃走距離もたかがしれている。そうまだ気楽にいた兵士らだったが、日が傾いても痕跡ひとつ見つけれないとなると焦りを見いはじめる。
「はははッ、意外に粘る、有名大学を首席で卒業したのは伊達ではないようだな」
結局、夜通しでの捜索が続けられたが目ぼしい成果は上がらなかった。
当然のように司令官の機嫌は悪化するばかりだ。連夜となる宴会では苛立ちのままに酒を飲んで悪酔いしていた。
そんな彼も瀬里奈を買い入れた時は随分と熱を入れていたようだ。お気に入りとして手元に置いて随分と可愛がったと酒の席でも自慢していた。
瀬里奈が主人だった男を殺していると知っても彼女を購入するぐらいだから、御多分に漏れず司令官自身もサド趣味の持ち主であった。そんな人物の寵愛を受けるという意味は容易に想像できるだろう。
すでに飼い主を殺している瀬里奈がそれに我慢し続けられるはずもなく、媚を売らない瀬里奈に業を煮やして部下に卸されて、そこから下級兵士用の性奴まで堕ちるのには時間がかからなかった。
そんな彼女が逃亡だから意地でも捕まえようと司令官は躍起になっていた。二日、三日と経過しても諦めようせず、現場の指揮官らを激しく叱責した。
ゲリラとしての他の活動も放っておいて昼夜を問わずに捜索は続けられる。流石に現場の兵士らも疲れが見えてきていた。
だが、上手く立ち回って兵士らを翻弄していた瀬里奈の方も、ここまでの執拗な捜索が続けられるのは想定外だったのだろう。
元々、軟禁生活で衰弱していたのもあって彼女の方が先に体力が尽きてしまったのだ。
気を失って倒れているところを発見された彼女が、ゲリラの施設へと連れ戻されたのは脱走から十日目の昼だった。
「これは、酷い状態だな」
車両にロープで繋がれ、引きずられるようにして瀬里奈は帰還してきた。
彼女が発見された時、上官からの叱責と不眠不休の捜索活動で現場の兵士たちは激しく苛立っていた。
その怒りの矛先が発見された瀬里奈に向けられるのは当然の結果だろう。
激しい折檻にあい、彼女は全身に殴打の痕を刻んでいた。
彼らによって殺されなかったのは司令官による生け捕りの指令があったからに過ぎない。
それも彼女を助ける為でなく、彼自身が処刑を遂行するためでしかないのだ。
広間で待っていた司令官の前に後ろ手に縛られた瀬里奈が突き出される。そこで命乞いでもすれば、もしかしたら延命のチャンスがあったかもしれない。
だが、瀬里奈のプライドがそれを許さなかったのだ。満身創痍の身でありながら跪いた状態から司令官をキッと睨み上げてみせる。
(ははッ、大したものだ)
この期に及んでも命よりもプライドを取るというのが凄い。そこまで貫けるのに素直に関心してしまう。
とはいえ、それは紫堂の感性故の感想であり、相対する司令官は違った。
非正規の軍隊でありながら大量の勲章で飾り立てている人物だからさぞ自尊心が高く、彼女の行為でそれを傷つけられたことだろう。
面白いほど顔を怒りで真っ赤に染め上げ、泡を吹きながら怒鳴り散らかしていた。その姿がまるで茹でられたカニのようだと兵士らに混じり傍観していた紫堂は思っていた。
「ならば、望みどおりに殺してやるわッ」
腰から拳銃を抜き、司令官が銃口を瀬里奈の頭にゴリッと押し付ける。それでも瀬里奈は、表情を強張らせながらも最後まで態度を変えようとはいなかった。
その傲慢なほどのプライドの高さが紫堂の心を動かした。
「その女、殺して処分するぐらいなら私に譲ってくれませんか」
まさに引き金が引かれようという瞬間にかけられた紫堂の一声が、瀬里奈の一命を取り留めることになった。
怒りがおさまらない司令官であったが、交渉の末に彼が懐に忍ばせていたあるもので手を打つことに同意した。
――バハマ産の葉巻
それが瀬里奈の身柄を買い取る値段となった。
日本国内なら数千円で購入できる葉巻だが、国外からの物流が滞っているこの国ではなかなか手に入らない嗜好品だ。
交渉のたびに吸ってみせていた紫堂の姿に羨望の眼差しを向けているのに彼は気付いた。そして、交渉のカードとしてこの場で切ったのだ。
差し出された葉巻を鷹揚に受け取った司令官。その目にはすでに瀬里奈の姿は映ってはいなかった。
早速、その味を楽しもうと意気揚々と自分の執務室へと戻っていく姿を見送りながら、紫堂は周囲を観察する。
連日の捜索に駆り出されていた下級兵らを中心に不満が高まっていたが、それを上官が強引に解散を命じる。
渋々と兵士らが周囲から消えていくと残されたのは紫堂と瀬里奈。そして、案内役の年配の兵士だけになっていた。
「……助かった……の……」
極度の披露と空腹で瀬里奈の意識は朦朧としていた。
状況を理解できぬままに紫堂を見上げていた彼女だが、ガックリと力尽きたようにその場で突っ伏してしまう。
「やれやれ、せっかく拾ってやったんだ。あっさりと死んでくれるなよ」
足元で気を失った元女性アナウンサーを見下ろしながら紫堂は上機嫌に笑ってみせた。
【3】殺戮と死を運ぶモノ
瀬里奈が移動できるほどに回復すると紫堂はゲリラ施設を出立する準備を進めた。
盛大なお出迎えに比べて、去る時はヒッソリとしたものだった。
この数日で下級兵士らと幹部らの間に不協和音が大きくなっていた。反抗的な兵士が増える一方で、より暴力的になっていく上官たち。軍事組織としてすでに正常に機能しなくなりつつあった。
唯一、見送りに来た年配兵に車を用意してくてた礼を済ませると、そのまま出発する。
助手席に座る瀬里奈は久々に衣服を身に着けて嬉しいのだろう。ブカブカな男物の野戦服のの感触を確かめるように肩を抱いてシートに身を埋めている。
そんな彼女を横目に見ながら紫堂は木々の間を抜けるように車を走らせた。
「さて、改めて名乗らせてもらおうか、紫堂 一矢だ」
そう名乗ると自らが犯罪シンジゲートの幹部であり、彼女が嫌う悪人であることを伝える。
それらに関しては大方の予想はしていたのだろう、瀬里奈は驚きはしなかったが幹部という点には懐疑的だ。
それはそうだろう。護衛も付けずに単身でゲリラの施設に訪れる幹部はまずいない。下っ端とは言わないが、せいぜい交渉を任させた構成員にしか見えない。
そう指摘されて紫堂は愉快そうに笑ってみせた。
「なら、まずはその証明からはじめようか」
車が木々を抜けて開けた場所にでた。薄暗い木陰から一転して燦々と太陽の日差しが降り注ぐ。
だが、それが急に翳ったかと思うとバタバタとけたたましい音が頭上から降り注ぐ。
訝しげて瀬里奈が視線の上げると、そこには複数の航空機が滞空しているのだった。
両翼に備えたローターを頭上に上げてヘリコプターのように高度を維持しているのは最新鋭の軍用輸送機だ。
手を上げてパイロットに応える紫堂の眼前にそのうちの一機がゆっくりと着陸してくる。
「どうした、置いていくぞ?」
突然の成り行きに唖然としている瀬里奈に手を差し伸ばして着陸した機体へと近寄っていく。、
エンジンを切らずに回り続けるローターで周囲に突風をまき散らしながら、こちらに向けられた後部の一部がゆっくりと開いてくる。
全開になった後部ハッチの向こうには将校用の軍服をまとった長身の女が立っており、近寄ってきたふたりに冷たい視線を向けてくる。
堀の深い顔立ちの妙齢の女で、軍服姿の上からもグラマラスなボディラインがよくわかる。だが、その美貌も向けられた冷たい視線によって霧散してしまう。
まるで獰猛な虎と対峙したような恐怖に襲われて足がすくみそうになるのだ。
紫堂はその視線を受けても歩みを止めない。ゲリラの施設に単身で訪れるような胆力の持ち主だが、そこになにか危ういモノを感じてしまう瀬里奈であった。
機内へと乗り込むとベレー帽を被った屈強な兵士が紫堂に握手を求めてきた。
「民間軍事会社ワイルド・ドッグの社長をやっているワイズマンです」
「あぁ、この度はご協力を感謝します」
ふたりが挨拶を交わしている間に、ハッチは閉じられて機体はゆっくりと上昇をはじめていた。
「――あッ」
「おっと、大丈夫か」
おもわず倒れ込みそうになる瀬里奈を支えて紫堂は彼女をシートに座らさせると、自身もその隣に腰を下ろした。
改めて機内を見渡すと、広いカーゴルームには様々な機材が積む込まれており複数のモニターの前には複数のオペレーターが作業していた。
そこが司令所として機能しているのだろう、次々と入ってくる情報が先ほどの女将校とワイズマンと名乗った男に報告されていく。
「準備は整いました」
「紫堂、はじめるが問題ないな?」
「あぁ、よろしく頼む、お前風に派手にやってくれ」
女将校の号令によって機内が急に慌しくなり、次々とモニターに情報が表示されていく。
壁に設置された窓から外を覗いた瀬里奈は、別の機体が並走しているのに気づく。
翼の下に大量の兵器を装備した軍用ドローンが何機もそこにいたのだ。
「そういえばゲリラたちが軍用ドローンで襲われると騒いでいたけど、それってもしかして……」
「あぁ、彼らの仕業だよ」
目の前の機体や兵士らには黒犬の部隊マークが付けられている。紫堂はそれを指さして答えてみせた。
――民間軍事会社ワイルド・ドッグ。
それが男たちが所属する集団の名前であり、民間の企業とは思えないほど潤沢な資金と最新鋭の装備を揃える傭兵団だ。
金さえ積めばどんな荒事も引き受けるため荒事に従事することも多く、その荒っぽい所業から悪名の高さでも有名な連中だ。
度重なる反政府ゲリラのテロ行為に業を煮やした軍事政権が、密かに彼らにゲリラの殲滅を依頼していた。
それを知った紫堂は世界の情報を握るメディア王を仲介にして彼らとコンタクトを取り、ある密約を交わしていたのだ。
「さぁ、これから面白いショーがはじまるからな、特等席で観戦できるぞ」
「いったい何をするつもりなの」
その問いには答えずに紫堂は唇に指を当てると黙ってモニターを見るように促してくる。
機内に設置された複数のモニターには各所から届けられる映像が表示されていた。
ひとつは木々に隠れるようにゲリラ施設に接近していく特殊部隊員によるものだった。
マスクを被り人相も確認できない彼らは影のように忍び寄り、見張りに立つゲリラ兵を次々と無力化していった。
そのまま流れるように施設内に忍び込むと、次々と対空設備へと爆弾を仕掛けていく。
別のモニターでは、先日に紫堂らを襲撃した軍用ドローンが編隊を組んで飛んでいた。その時の比ではないほどの大量の兵器が翼の下に吊り下げられていた。
それに続くのは、紫堂らが乗るのと同型のティルトローター機が編隊になって続く。
それらの情報を統括するモニターには、カウントダウンを繰り返している数字があるのだった。
――00:00
カウントがゼロになった途端、画面に映っていたゲリラ施設で爆発が起こる。
特殊部隊員によって設置された爆弾により、対空設備が次々と破壊されたのだ。
同時に先行していた軍用ドローンが翼下に吊り下げていたミサイルを次々と解き放つ。
尾を引いて飛び立ったミサイルは、空中で分解しさらに無数の小型爆弾をまき散らす。
それが降り注いていくのはゲリラの軍事施設だった。
地上での対空設備の爆破に呼応するように飛来した軍用ドローンが次々と爆弾の雨を降らしていく。
突然の襲撃に慌てふためくゲリラ兵は、なすすべもなく次々と爆発に巻き込まれて肉片となって飛散していった。
それがひと段落するとティルトローターに搭乗していた兵士らが降下を開始する。
かろうじて生き残っていた者も降下した兵士による攻撃と上空からの機銃掃射ですぐに沈黙させられる。
森に逃げこもうとする者も潜んでいた特殊部隊によって迎え撃たれて逃げることもできない。
散々、政府軍を苦しめていた反政府ゲリラたちが、挟撃を受けてなにもできぬ間に殲滅されていった。
「実に紅蓮らしい派手な作戦だな……どうだい、少しはスッキリしただろう?」
モニター越しに繰り広げられる光景を信じられない想いで見つめていた瀬里奈。その耳元に口を寄せて紫堂が囁いてきたく。
次々と人が死んでいく光景を顔を強張らせる瀬里奈とは対照的に紫堂はゲーム画面でも見ているかのように涼しげな表情だ。
殲滅の対象は武器を持たない者も含まれていた。武器を捨てて投降を試みる兵士、ゲリラによって攫われてきたとおぼしき者たちも等しく銃口を向けられて、迷うことなく引き金がひかれてハチの巣にされていった。
「彼らはゲリラではないわッ」
すでに一方的な殺戮だった。無抵抗な者にも躊躇なく銃弾が叩き込まれる様に目を覆いたくなる。
「だとしても、それをいちいち確認するすべもないからな。それに彼らの仕事はゲリラの殲滅であって、攫われた者の救出は含まれていないそうだよ」
「そんな横暴が……許されるわけがない」
「だが、この国では誰も問題にしないだろうね、そういう意味ではキミは実に運が良かったな」
平然とそう告げてくる紫堂の態度から、嫌でも彼が人の死に慣れていることをわからされる。同時に、目の前の男が犯罪シンジゲートの幹部であるという事も信じざるおえなくなっていた。
瀬里奈も確かに人を殺している。それは自らを攫い、凌辱して自らの欲望の対象とする性奴隷へと堕とした悪人への復讐だった。
だから、紫堂を見た途端、その男と同類の匂いを嗅ぎつけて嫌悪のままに睨みつけていたのだ。
(それなのに、どうして……)
自分を凌辱していた連中が目の前で次々と血祭りに上げられていく光景を前にして、男のいうように心が軽くなっていくのがわってしまう。
「強い者も、さらに強大な力を持つ者には蹂躙されてしまう。なら、そうならない為には自身が強くなるしかないだろう?」
死の匂いを漂わせる紫堂への嫌悪は消えそうにない。それでも自虐的な笑みを浮かべる男の言葉を今の彼女には否定することが出来なかった。
モニターでは地下シェルターに隠れ潜んでいた司令官と幹部らが両手を上げて投降しているところだった。
あれだけ偉ぶっていた暴君たちが銃口を向けられて無様な姿をさらして命乞いまでしていた。
その彼らが全身に銃弾を浴びて肉片に変わっていく光景から目を離せなかった。おもわず口元に笑みが浮かびそうになり咄嗟に手で隠す。
(私は……そんな人間ではないわ……)
誤魔化すようにモニターから視線を外した瀬里奈の目が、機体横に供えられた小窓からの光景に釘付けになる。広大なジャングルの先にゆっくりと沈んでいく夕日が飛び込んできたのだ。
異国に地で売られて鎖でずっと繋がれてきた。見てきたのは汚い壁や男たちの裸ばかりで、こうした美しい光景を目にするのはいつ以来だろうか。
ようやく解放された実感が訪れ、瀬里奈は溢れ出してくる涙を止められなくなっていた。
アジアへの進出の手始めにこの国に狙いを定めた紫堂は、ゲリラの殲滅を請け負っていた民間軍事会社の協力を得ることからはじめた。
投入されている軍用ドローンによってゲリラの補給が断たれている状況を利用して彼らの信用を得ることに成功する。
そうして、商談という形で麻薬工場と栽培する畑へと案内させ、その位置も高空で待機していた偵察機と通信社が保有する衛星を利用して把握させた。
あとは計画通りにゲリラたちを殲滅するとともに、残された麻薬関連の施設を掌握していくのだった。
傭兵たちにしてみれば軍事政権と契約したのはゲリラの殲滅までだ。連中が使用していた麻薬施設がその後に誰にどう使われようが関係ないことなのだ。
この後も傭兵たちによって商売敵であるゲリラや犯罪組織は次々駆逐されて、紫堂たちの組織によって吸収される手筈になっているのだった。
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