ソール・トレーダー ― 中古奴隷もお取り扱いしております ―
【1】アフターサービス
その連絡を受けたのは長引いていた残暑がようやく終わり、急に冷え込んできた時期だった。
都内ではようやく紅葉が始まったというところだけど、取引で訪れていた河間口調教所のある場所は避暑地でも人気の地域とあって一足早い冬の気配を感じていた。
業界に入ってからの付き合いである所長の河間口 厚子(がまくち あつこ)との交渉も無事に終えて、彼女からお茶に誘われていた。
小さな湖に面した別荘地を買い占めて施設を拡張していた彼女は、湖面を見渡せる素敵なテラスを用意していた。
ピンク色の可愛らしいテーブルクロスをかけられたテーブルには、彼女特製のハーブティーとお手製の焼き菓子が添えられていた。
それらを美味しくいただいている最中だった。
「険しい顔ね、なにかあったのかい?」
スマートフォンに表示されたメッセージを見つめて、わずかに眉をひそめていた。そんな私に大きな口でマドレーヌを頬張りながら厚子が聞いてきた。
何気なく聞いてきている風に見えて、密かに私のことを心配してくれているようだ。
彼女は首が埋もれるほどの肥満化した巨体の持ち主で、ギョロギョロとせわしなく動く目といい二足歩行する巨大カエルといった印象の外見だけど、見た目とは裏腹に繊細で気配りができる女性だった。
こうしてお茶に誘ってくれたのも、ここのところトラブルが続いていた私を気づかってのものだった。
「うーん、お得意様が亡くなってしまったみたい」
「誰か聞いても大丈夫?」
個人商社を営んでいる私が扱っている商品は人様に口外できないものばかりだ。おのずと顧客の情報も気軽には口にできない。
だけど、厚子とは業務提携をする関係であって守秘義務の契約もしっかり交わしている。
それに、お互いお客様あっての商売なだけに約束事は厳格に守る主義だった。
「前の幹事長だった方よ」
代々、政治家を輩出してきた家庭に生まれ、自身も数々の大臣を勤め上げて与党の幹事長まで登り詰めた人物だった。
過激な発言のわりに目立ったスキャンダルもなく、どの役職も任期を全うしている。
厳つい顔のわりに若者文化への造形も深く、年配だけでなく若い世代にも支持層を持っている珍しいタイプの政治家だった。
そんな方とご縁があって私は小まめに商売をする仲になっていた。
察しのよい彼女には、先ほどの言葉で十分だった。私と取引している時点で、どういう人物か容易に想像がついたようだ。
「へぇ、ならもう緊急ニュースで流れているわよね」
「いえ、どうやらまだみたいね。周囲がバタつく前にと私設秘書の方が一報をくれたみたい」
スマートフォンで確認したけど、やはり該当するニュースはなかった。
身分がそれなりにある方々は身辺整理も大変で、死亡原因なども含めて公表するには調整を要することも多い。
今回もそのケースらしく、私が依頼主とある契約を交わしている為に、こうして事前に連絡を受けていたのだった。
「まぁ、どういう方なのかは、ひとまず置いておいて……」
「そうね、亡くなった方のご冥福をお祈りいたしましょう」
手を合わせて一通り拝む私たちだけど、お互いに商売柄まともな死に方ができるとは思ってはいなかった。
契約を交わしていた紀里谷(きりや)氏が急死した一報を受けて隣接する県からとんぼ返りしてきた私が向かったのは、彼が密かに私的に使用していた都内のマンションだ。
もちろん書類上は他人名義で処理されており、彼との繋がりを匂わせるものは一切ない。役所やマスコミにも知られていない完全なプライべートの空間だった。
ここで依頼主である紀里谷氏は急死したという話だ。遺体は連絡を受けた時点で私が手配した者によってすでに運び出されている。
では、私がなんのために来たかというと契約内容に則って残りの業務を遂行するためだった。
「お待ちしておりました」
地下の駐車場には紀里谷氏の私設秘書である立河(たちかわ)氏が待機してくれていた。
新人議員の頃から仕えて主に身の回りや身辺管理をしていた初老の男性で、非常に口の硬い方だった。
商品の受け渡しなどで、私とも度々顔を合わせている。
「この度はご愁傷さまです」
「ありがとうございます、主は生前に藍川様には大変感謝しておりました」
哀しみの表情を浮かべて深々と頭を下げ合う私たち。だけど、顔をあげればもう気持ちを切り替えている。
テキパキと今後の流れを打ち合わせをして、必要な事項を擦り合わせていく。
そうして、問題点がないのをお互い確認すると立河氏は懐から取り出したものを手渡してくる。
「こちらが紀里谷から預かっておりました鍵一式と、必要だと思われる資料をご用意しておきました」
「わかりました。なにかありましたらご連絡いたします」
要件を終えて立ち去っていく立河氏を見送ると、私はひとりでエレベーターに乗りこんで、そのまま最上階へと向かう。
都心部に高々と飛びえる建物は、いわゆる億ションと呼ばれる裕福層向けの高級マンションだ。その最上階が紀里谷氏専用のフロアとして使われて、屋上のヘリポートまで私的に使用できるようになっている。
エレベーターから降りれば、そこはもう玄関だ。まるで旅館の入り口のように広々とした空間で靴を脱ぐと奥へと進んでいく。
いくつもの部屋を迷うことなく進んだ私は目的の部屋へと到着する。
「ここに来るのも久しぶりね」
偏光ガラスを埋め込まれた奥の窓からは都心部の夜景が見下ろせる絶好のスポット。
だけど、室内にあるのはそれに似つかわしいない黒革張りの三角木馬や拘束椅子などが所狭しと置かれていた。
嗜虐趣味のある彼は、毎夜のように夜景をバックにして数々の女性たちを辱めて慰み者にする、美しい女を痛めつけて泣き叫ぶ姿をなによりも好む真正のサディストだった。
ある顧客より紹介された私は、彼から存分に趣味を満喫できる空間が欲しいと相談されたのが付き合いの始まりだった。
――そう、私の仕事は嗜虐趣味のある方々のあらゆる要望にお応えする裏世界で個人商社を営むセールスマンなのだ。
バイブレーターのような淫具から非合法な強力な媚薬、三角木馬のような設備から牝奴隷まで顧客からの要望には応えてきた。
このマンションも依頼主の要望に合うように私が選定して、契約や内装工事まですべて請負って用意したものだった。
「だけど、主が亡くなれば終わりよね……長らくのご愛用をありがとございました」
数々の牝奴隷たちの慟哭が鳴り響いた空間も、今は主を失い寂しさだけを感じてしまう。
そんな紀里谷氏とは死後の処置に関しても私は契約を交わしていた。
趣味が露見しないように手筈を整える細かなアフターサービスも私のような個人経営商社の売りだ。
今回はマンション内の設備の処分に加えて、彼の所有していた牝奴隷たちの処遇も任されている。
(それにしても結局、主力商品は買ってもらえなかったわね)
私の商社が主力製品としているのは奴隷だった。依頼主のあらゆる要望に応える最高の品で、その調教に厚子の河間口調教所も協力してくれているのだった。
だけど、残念なことに紀里谷氏は反抗心の残る牝奴隷をいたぶることを至上の悦びとしている方だった。
その為に、奴隷は一から自分で調教をするのを好んでいたので、残念ながらそちらでの商談を交わすことはなかった。
女性を攫ったり、脅したりという下準備は、先ほどの立河氏が受け持っていたようで、その相談には個人的にのらせていただいていた。
そのお陰か、業界では手厳しいと有名な立河氏だけと私にはいろいろと優遇してくれる。
先ほど手渡されたメモリーの情報もそのあらわれだった。
「そういえば、随分と保有してた奴隷たちを減らしたって話だったわね」
成功を掴み取り華々しく活躍する女たちを目にしては、権力を使って次々と毒牙にかけていた紀里谷氏。
牝奴隷に堕とした後は、日常に戻して好きな時に呼び寄せていたらしい。
だけど、それは牝たちを日常に帰してやる温情ではなく、反抗心を失わせないためだというのだから筋金入りのサディストだろう。
調教される姿は逐一記録されており、無様に奴隷宣言をさせられる姿まで映像として残されては、プライドの高い女ほど抗うのは容易ではない。
それでも抗おうという女がいれば、たちまちスキャンダル記事とともに姿を消すことになっていた。
そうやって欲望のままに女たちを牝奴隷にしていった紀里谷氏だが、流石に五十代に入ってからは捌ききれずに数は減らしていたようだ。
「今は保有しているのは四人ね……弁護士に女優、女性実業家とニュースキャスターか……なるほど、どれも気の強そうな牝ばかりね」
数を減らす過程で残したということは、それだけ彼も思い入れが強い牝奴隷なのだろう。
(まぁ、サディストな方から強い想いを受ける女たちが、幸せなのかは疑問が残るけどね)
少なくとも反抗心を残された女たちでは、喜びよりも恥辱が勝りそうだった。
「個人的にはお薦めしないタイプの奴隷だけど、お客様のお好みは千差万別ですからね」
そうは言いつつも、気の強そうな女たちがどのように啼かされ、屈服させられていったかは個人的に興味を惹かれる。
この業務の役得はそれを確認できることだろう。
「えーと、ここだったかな」
一見して分からないが、このフロアの全ての部屋に隠しカメラが仕込んである。
奴隷調教の光景を映像で記録して愉しんでいた紀里谷氏の要望で備えたもので、一見して柱にみえる内部に記録情報を保存するサーバーが隠してある。
彼と私しかアクセスできないので、この処分も任されていた。
「……あれ? おかしいわね」
残されていた映像に違和感があった。どうやら、映像が所々で消されているようなのだ。
常に記録して有事の際にはブラックボックスとして機能するものだったので途中で映像が消えるのはあり得ない。
報告では今日は久々のオフで昨夜から三人の奴隷を次々と呼びつけてはプレイを愉しんでいたようだ。その三人目でお愉しみの最中に突如、胸をおさえて倒れこんでいた。
同室していた牝奴隷は拘束されている最中で、異変を知らせることが出来なかったと言っている。
予定時刻を過ぎても連絡のこないことを不審に思い、立河氏が入室したときには手遅れだった。
(確かに三人目は身じろぎもできないほど厳しく磔られているわね……)
聞かされた通りの映像を確認しても、どうにも嫌な予感が消えず、思わず深々とため息をついてしまう。
そういう予感はよく当たる性分なのだった。
「それに契約を交わしてるしね……それは守らないといけないか」
そう呟くと、私はスマートフォンを取り出してある人物に連絡するのだった。
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