気高き心は砕かれて、欲望の昏き水底へと沈められる

【3】ばら撒かれた悪意の種

 スラム街の一角にある古びた建物、その地下室を活用したアジトへと襲撃者たちは集まっていた。
 ”ガロ団”と呼称する集団の人数は十六名、多くが十代の少年少女だ。
 被っていたフードを下ろしゴーグルとマスクを外した彼らは、勝利の美酒かわりにジュースで祝杯をあげていた。
 その中心に置かれるのは、戦利品である現金がギッシリと詰まったジュラルミンケースと、その上に広げられたジャンクフードだ。
 山盛りのフライドチキンを頬張り、差し入れのピザに手を伸ばす。
 その光景を横目に最年長のルイザは、差し入れを持ってきた大人たちに礼を言っていた。
 彼らはスラム街にある各地区の代表者だった。

「いつもありがとうございます」
「いやいや、いいってことよ。ルイザちゃんに助けられているからな」
「そうそう、俺らは先代であるお父さんにも随分と世話になったしな、これも恩返しだと思ってくれよ」
「それに、もうアタシらも共犯だよ」

 そういって大人たちは手にしたジュラルミンケースを叩いて笑顔を浮かべる。
 ロドリゲスによるカルロス邸襲撃から命からがら逃げ出してきたルイザたち姉妹をスラム街の連中はずっと匿ってくれていた。
 特に新型麻薬を街中にばらまき、様々な理由をつけては金を搾り取っていくロドリゲスのやり方には反感を覚える者も多かった。
 だが、この十年で彼に歯向かう者は次々と凶弾に倒れて、今では表だって反抗できる者はいなくなってしまった。
 そんな中、忘れ形見であるルイザが志を同じくする少年少女たちと共に立ち上がり、組織の金を強奪すると住人たちに返していったのだ。
 その勇姿に触発されて徐々に仲間や協力を申し出る者も増えていった。
 もちろん全員が高潔な意思をもっている訳ではないだろう。ルイザたちが強奪した金品を期待している者たちもいる。
 それでも、長年に渡って組織から守ってくれたスラム街の住人にルイザは少しでも恩返しがしたかったのだ。

「あぁ、それとは別にこれもお願いできますか? ペドロさん」

 手渡されたのは札束の詰められた複数の封筒だ。それぞれに名前が書かれている。

「これは?」
「三区のペドロさんのところはお子さんが生まれましたよね。あと、四区のテオさんはご結婚されたとか、それから……」

 幼い頃からスラム街を遊び場としてたルイザは、多くの街の住人と顔馴染みであった。そうした人たちの祝い事があると、こうしてお金を余分に渡しているのだ。
 それは彼女の父親であるカルロスをよく行っていたことなのだ。
 ぶらりと街へと視察に出ていく父親についていくと、病気の住人に見舞品を送ったり、見かけた結婚パーティーに差し入れを届けさせたりする彼を、住民たちは笑顔で出迎えてくれた。

「ホント、そういうところも父親に似てきたよね」

 そう言われて住人たちに感謝されるのが、父親に憧れていたルイザには今はなによりも嬉しかった。

――だが、そんな彼女にも憂いもあった。

 大人たちが感謝しながら帰っていくと、盛り上がる仲間たちをあとにしてひとり地下室の奥へと進んでいく。
 奥まった場所には、彼女の妹であるセシリアの部屋がある。
 可愛らしいぬいぐるみなどに囲まれるように置かれた天蓋ベッドの上に少女はいた。
 生まれた時から病弱であった彼女は、長年の潜伏生活のために本格的な治療を受けれずにいた。
 医療技術の発展でいまでは完治も可能になのだが、組織の目を避けて治療にいくのが難しいのだ
 窓もない地下室で点滴を繋がれて辛そうにしている妹がルイザには不憫でならない。だが、今は我慢を強いるしかない。

(アタシがロドリゲスを倒せば全てがよくなる)

 仲間と共に組織に反抗したのも、もちろん世話になったスラム街の住人たちへの恩返しの意味もあった。
 だが、それ以上にまとも治療をうけて元気になった妹を太陽の下で歩かせてやりたいという強い願いもあったのだ。

「……お帰りなさい、お姉ちゃん」
「ただいま、セシリア」

 母親譲りの絹糸のような金髪を優しく撫でてやると、妹は嬉しそうに目を細める。
 逃げ出す時は幼かった妹は、ルイザとは違い両親の記憶もおぼろげだ。
 唯一の肉親であるルイザにもっと甘えたい年頃だろうが、最近は彼女も多忙でなかなか一緒にいられない。
 だからか、こうして姉が帰ってくると、ギュッと手を握って離さないのだった。

「大丈夫よ、全てが良くなるわ」

 様々な人々の想いに押し潰されそうになるたびに、ルイザは自分に言い聞かせるようにそう呟く。
 そして、その夜はそのまま眠りについて妹とともに過ごすのだった。


 現金輸送車の襲撃から数日が経過したが、街が不自然なほどに平穏に包まれていた。
 いつもなら血眼になって襲撃者の情報を求める組織の人間が街の中を闊歩しているはずなのだ。それが、逆にいつもより少ないぐらいな日が続いている。
 だが、その裏ではロドリゲスによる悪意の種はしっかりと蒔かれていた。
 それが芽をだしはじめてルイザたちが事態に気づいたのは、それから数週間が過ぎた頃だった。
 街のあちらこちらで恍惚とした表情で座り込んでいる人を頻繁に目にするようになったのだ。
 仲間からの報告でそれを知ったルイザは、すぐに調査をさせた。
 すると、最近になってスラム街で流通する新型麻薬の量が劇的に増えていることがわかったのだ。

「どういうことなの?」
「それが、例の新型麻薬が凄い安値でバラまかれているんだよ」

 二束三文で売られているが純度には変わりはないようだ。国外から仕入れている組織としては大赤字になる価格だ。
 若者が集まるクラブや酒場を中心にでまわり、強烈な多福感をお試し感覚で手が出せると評判になっているのだ。
 悪いことにルイザが住民に返した強奪金が、それを後押ししてしまっている。なまじ余分な金があるために、甘い誘惑にも簡単にのってしまっていたのだ。
 ルイザたちが気づいた時には、スラム街には大量の麻薬中毒者ができあがってしまっていた。

「……まずいわッ」

 新型麻薬は一度手を出せば、もう止められなくなるほど中毒性が高い。十分に広がったところで組織は価格を引き上げにくるだろう。
 お金があるうちは、まだ大丈夫だろう。だが、それが尽きればどんな事をしても麻薬欲しさに金を手に入れようとするだろう。
 そして、このスラム街では手っ取り早く大金を得る方法があるのだ。

――パリンッ

 アジトの窓ガラスが割れて投げ入れられた物があった。それは床に転がると、すぐに煙を噴出しだした。

「催涙ガスよ」

 ルイザたちのお手製とは違う、警察や軍で使用している正規品だ。そのままならすぐに目が激しく痛みだして開けられなくなる。
 そのガスが室内に充満するのを見計らって一斉に窓や扉が蹴破られる。
 突入してきたのは、ガスマスクを装着した都市迷彩服の兵士たちだ。その腕には黒犬の部隊章がつけられているのだった。


 建物の外には突入した部隊を指揮するための指揮車両が停止していた。
 内部に設置された複数のモニターには隊員たちのゴーグルに連動したカメラの映像が映し出されており、部隊の状況が逐一把握できるようになっているのだ。
 機器を操作するオペレーター要員の後ろに立ち、モニターを眺めるふたりの男がいた。
 趣味の悪いスーツ姿のロドリゲスと、ベレー帽を被った軍人であった。

「いいな、姉妹がいるはずだが、絶対に殺すなよッ、ワイズマン大尉」

 横に並ぶ軍人をギロリと睨み付けて命令するロドリゲスだが、配下の者を震え上がらせる彼の睨みも今回は効果がないようだ。
 都市迷彩服を着込み、黒いベレー帽を被った壮年の男は、その激しい人生をあらわすのよう全身には裂傷を顔には十字の斬り傷を刻んでいる。
 彼こそは民間軍事会社ワイルド・ドッグの社長であり、最高指揮者であるワイズマン大尉であった。
 とある国の正規軍兵士から傭兵となり、数々の戦場を渡り歩いてきた彼は、十年前にロドリゲスに雇われて仲間とともにカルロスと警護チームを壊滅させた。
 そのまま、彼の邸宅を襲撃して集まっていた幹部連中を皆殺しにした実行犯であるのだ。
 そのときの契約金をもとに民間軍事会社を立ち上げると、ロドリゲスが荒事を起こすたびに雇われていたのだ。

「わかっている。ただし、手足の一本ぐらい欠けても文句はいうなよ」

 ワイズマンが自らスカウトしてきた部下たちは、腕はよいが素行の悪い連中ばかりなのだ。
 そのため、殲滅戦など派手な戦闘は得意だが、生け捕り作戦のような繊細さが必要な作業を苦手とする者も多いことからの発言だった。
 その彼はモニターの光景に目を細めて口許をわずかに綻ばせた。

「ほぅ、意外にやるようだな」

 薄暗く狭い室内は老朽化もあって所々で崩れている。複雑な迷路と化した内部には巧妙にトラップが仕掛けられていたのだ。
 ターゲットらは、それらを駆使して抵抗を試みてきており、その動きからもよく訓練していたのがうかがえる。
 それでも、手榴弾のひとつでもあれば簡単にカタがつくレベルなのだが、今回は生け捕りとのオーダーでそれはできない。
 その為、素人目には苦戦しているように見えるだろう。事実、横でみているロドリゲスの機嫌が次第に悪くなっていた。

「おい、大丈夫なのか。このままでは逃げられてしまうぞ」
「オーダーは姉妹の捕獲だからな、楽をさせてもらう」

 荒くれな部下たちを使って正面から猛攻をかけつつ、包囲にはあえて甘い箇所を残していた。
 そこに搦め手の得意な信頼できる副官を配置して網を張っていたのだ。
 しばらくして、その副官から連絡がきた。脱出しようとしていた一団を捕捉して、妹の身柄を確保したというのだ。
 一緒にいた連中は散り散りになって逃げたが、今回は首魁である姉妹の身柄を確保するのが目的だ。部下にも前もって深追いしないように釘をさしてある。

(その方が次の仕事にも繋がるからな……しかし、まだ未練があったとはな……)

 映像で送られてきたセシリアの顔を、横にいるロドリゲスが食い入るようにしてみていた。
 まだ少女だが、すでに母親譲りの美しさを感じさせる。そのまま成長すればさらに美しさに磨きがかかるだろう。
 それに、今の病弱で儚げな雰囲気も、いつも媚を売ってくる女ばかり相手にしているロドリゲスには新鮮に映るようだ。
 賞金を目当てに情報を売ってきた住民のひとりが差し出した姉妹の写真。そこに写っていたセシリアの姿を見てからロドリゲスはいつもと違っていた。
 屋敷の襲撃で巻き添えにしてしまった母親にそっくりに成長しているセシリアに、すでに心を奪われていたのだ。
 そのため、襲撃車の壊滅のために呼び寄せていたワイズマンらに、急遽、捕獲するようにオーダーを変えていたのだった。

「さて、では、残りの仕事もすませてしまおうか」

 妹の身柄を押さえたことを、いまだに抵抗を続ける姉のルイザに伝えるようにワイズマン大尉は部下へと指示をだした。

(随分と妹想いらしいからな、抗えまい)

 予想通り、抵抗は急に止んだ。ルイザは、仲間たちを逃がすのを条件に投降すると交渉してきた。
 すでにセシリアの身柄を確保して有頂天になっていたロドリゲスは、呆気ないほどアッサリとそれを了承する。
 包囲を解いた一角から逃げ出していく仲間を確認して、彼女は両手を上げて物陰からでてきた。
 すぐさま兵士たちによって床に組伏せられると、後ろ手に手錠を掛けられてしまう。自殺防止に猿ぐつわも噛まされ、頭部には黒い布袋を被せられる。
 そうして連行されてきた彼女は、ロドリゲスの愛車のトランクへと放り込まれるのだった。

「よし、撤収するぞ」

 軍用車に乗り込んで次々と撤収していく部下を横目に、ワイズマンは依頼主であるロドリゲスへと視線を向けていた。
 アリシアをまるで壊れ物でも扱うように丁重にロールスロイスの後部座席へとエスコートする。その甲斐甲斐しいロドリゲスの姿に失笑を禁じ得ない。

「姉妹でも随分と違う扱いだな」

 姫様扱いされる妹ととは違い、姉であるルイザに対してロドリゲスは激しい憎悪をしめした。
 父親譲りの黒い髪と強い意思を感じさせる瞳が、自らの手で撃ち殺したカルロスを思い出させてしまうらしい。
 部下たちを恐れられている組織のボスが、実は小心者であるのがワイズマンには面白いのだ。
 撤収完了の報告にきた副官が不思議そうに見ているのに気がついて、ワイズマンは表情を改めると自らも指揮車へと乗り込んで、その場をあとにするのだった。


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