気高き心は砕かれて、欲望の昏き水底へと沈められる
【2】若き反逆者たち
燦々と陽射しが降り注ぐ中、スラム街をゆっくりと進む車列があった。
コンクリート製の家屋がギッシリと建ち並ぶ狭い道を進むのは、頑丈な装甲を施した現金輸送用のバンと、それを挟んで警護する二台のピックアップトラックだ。
荷台の上にはひと目をはばからずに機関銃で武装した男たちが立っており、殺気立った目で周囲を警戒している。
現金輸送車の中にはスラム街で稼いだ組織の売上金が積み込まれているのだが、この半年で何度も襲撃を受けて奪われているのだから警護する男たちが殺気だっているのも当然だろう。
強奪者は銃を使わず襲撃では死亡者はでないのだが、護衛失敗の責任を取らされてボスによって全員が処刑されている。
前回の死体処理をさせられた彼らからすれば、今回は失敗は許されなかった。失敗すれば、今度は自分達が処分される側になるのだ。
今までは夜間に密かに輸送されていたために闇夜に紛れて待ち伏せされていた。その対策に、今回は日中に行いあらかじめ襲撃に備えておこうというのだろう。
少しでも不審な動きがあれば銃を放ち威嚇している。慎重に進んでいるとはいえ、おかけで一キロ先からでも接近がわかるのだ。
ピリピリとする不穏な空気に住民らは家屋の中へと隠れて息をひそめているのだった。
「来るなら来てみやがれッ、蜂の巣にしてやるぜッ」
「なんたって襲撃者ひとり殺すごとにボーナスが貰えるらしいからな」
「ホントか? なら早い者勝ちだなッ」
すでに経路の三分の二を過ぎて、警護の緊張も緩み始めていた。
自然と無駄口は増えてタバコを吹かしはじめる者もいた。
「しかし、今日も陽射しが強いな……あぁん?」
足元に影が走ったのを奇妙に思い、顔をあげた男は眉をひそめる。
小袋に包まれた何かが上空から振ってきたのだ。あんぐりと口を開けたまま反応できずにいた男の額に、それは直撃する。
すると、中に包まれた白い粉末が周囲には飛散するのだった。
「ペッ、ペッ、なんだこりゃ……小麦粉かぁ?」
「な、なにをやって……ぷッ、なんだそりゃッ」
「ガハハッ、顔が真っ白じゃねぇかよ」
直撃を受けた男の顔は粉末で真っ白に染められていたのだ。それを見て周囲の男たちが腹を抱えて大笑いする。
「う、うるせぇッ、ガキのイタズラか? どいつがやりやがった……って、おいおいッ!?」
顔面に食らった粉を払い終えた男が怒気を振り撒きながら顔をあげる。見上げた彼の視界には今度は無数の小袋が舞っていたのだ。
左右にある建物の屋根から何者かが大量に放ったものだが、気づいた時には遅い。
次々と降り注いでくる小袋から中身が飛散して、周囲は濃霧に包まれたように視界が真っ白に染まっていた。
「ベックシュッ……こ、胡椒が混じってやがるッ」
「ぐあぁぁ、目がッ、目が痛てぇッ」
「なんだこりゃ、赤いの目に入ると涙が止まらねぇ」
「くそッ、トウガラシまで混ざってやがるッ」
袋の中身には小麦粉だけでなく胡椒やトウガラシまで混ぜられていたのだ。
荷台に乗っていた男たちは涙やクシャミが止まらなくなり、まともに目を開くこともできなくなる。
「くそッ、加速しろ、この中から早く抜るんだッ」
指揮を取っていたサングラスの男が涙を流しながらバンバンッと屋根を叩いて運転手に指示をだす。
慌てて踏まれたアクセルによって、白霧の中を車が急加速をかける。
「よし、これで――な、なんだぁッ!?」
加速してすぐに車がガクンと傾いていた。そのまま車は垂直になって前のめりなって止まる。当然、荷台から乗っていた連中は放り出されてしまう。
視界が塞がれた状態で訳もわからず宙を舞い、男たちは気がつけば地面に叩きつけられていたのだ。
「ぐぉ……な、なにが起こった」
背中から地面に叩きつけられたサングラスの男は痛みに顔を歪めながら背後を振り返りながら唖然としてしまう。
地面にポッカリと開いた大穴へと車が頭から突っ込んでいたのだ。
「お、落とし穴だとぉ……」
スラム街の路面は舗装などされておらず、地面が剥き出しになっている。そのため、シャベルでもあれば、あとは根気さえあれば穴も掘れるだろう。
だが、そんなことを考えても実行するような奴は普通はいない。
「まるでガキのイタズラじゃねぇかよ……」
「ガキで悪かったなッ」
「――ッ!?」
いつの間にかサングラスの男の背後には人が立っていた。
フード付きの外套を被り、マスクとゴーグルで顔を隠している。ゴーグル越しに見えるのは強い意思を感じさせる瞳が印象的だった。
咄嗟に銃を向けようとして転落時に機関銃は手放していることに気がつく。
慌てて腰に下げた拳銃を抜こうとする男だが、銃口を向けるよりも顔面に靴底がめり込むほうが早かった。
「――がはッ」
体重がのった痛烈な一撃を喰らい、男はグルリと白目を剥いてその場を崩れおちる。
その際に男の手が目の前の外套を掴んでいた。ズルリと剥かれた外套の下から現れたのは女だった。
二十歳ぐらいだろう。よく鍛えられた肉体の持ち主で。ボーイッシュなショートヘアもあって男だと勘違いしそうになる。
だが、その豊かな胸の膨らみと量感ある尻肉が女であると主張していた。
女は剥き出しになっている素肌に刻まれた無数の傷跡を隠すように、奪い返した外套をそそくさとかぶる。
そんな彼女の両脇を、同じように外套を羽織り、ゴーグルとマスクで素性を隠した少年少女たちが走り抜けていく。
格闘の心得のある女とは違い、彼らはスタンガンや鉄パイプで武装していた。それを使って地面へと放り出された男たちを次々と無力化していくのだ。
彼らの動きには無駄がなく、荒事に手慣れているのがわかる。ハンドサインで連絡を取り合い、無言で次の行動に移っていくのだ。
「くそッ、どうなってやがる。状況がわからんぞッ」
「後ろの連中とも無線も通じねぇぞ」
現金輸送車に搭乗しているふたりの男たちは、周囲が白く染まった中での立ち往生に不安と苛立ちを隠せずにいた。
不測の事態では停止して、完全防弾の現金輸送車から勝手に降りない規定になっているのだが、警護するべき先頭車両がいつの間にか姿を消していたのだ。
それでも勝手に動くこともできず、他に警護についていた仲間とも連絡がつかない状況に銃を握る手も震えてしまっていた。
だが、先頭車両がいるべきあたりからフラフラと少女が現れた。そのまま現金輸送車の前までくると、パタリと倒れてしまうと事情も変わってくる。
「おいおい、大丈夫かよ!?」
「まて、勝手に降りたら怒られるぞッ」
「でもよぉ、あそこに倒れていたら邪魔だぜ、お前、踏み潰して行けるのかよ」
運転手役の男も子供を踏み潰していけるほど残忍さもない男だった。
顔を見合わせた男たちは頷くと、銃を手にして車から降りていく。
そうして、目の前でうつ伏せで倒れたまま動かない少女へとにじり寄っていくのだった。
「……おい、どうした?」
「だ、大丈夫か?」
うつ伏せになったままの少女を抱き起こそうとする二人だが、その背後には鉄パイプを振り上げた少年たちがいつの間にか立っていた。
「なにぃ、また金を奪われただとぉ!?」
犯罪組織のボスとなったロドリゲスは、愛車であるロールスロイスの後部座席で襲撃の報告を受けていた。
隣国の麻薬組織からの後ろ楯を得た男は、市場に新型麻薬を密かに流して莫大な資金を手に入れた。
それを使い幹部の一部を買収すると、傭兵を雇ってボスであったカルロスと主だった幹部を皆殺しにしたのだ。
新たな組織のボスになると、その勢いで周辺の組織も壊滅して、スラム街だけでなく周辺の街まで支配する巨大組織を作り上げたのだ。
邪魔する者は力ずくで排除してきた男の怒声が車内に響き渡る。
それに、左右で媚を売っていた女どもは怯え、報告をした腹心も肩を縮ませて顔を死人のように青ざめさせていた。
「どういうことだ、対策は立てたはずだろうがッ」
この半年で売上金を運ぶ護送車だけでなく、賭博場や麻薬工場など組織の施設も次々と襲撃をうけていたのだ。
襲撃者はゴーグルとマスクで顔を隠しているのが共通している。鉄パイプやスタンガンで武装して施設を襲うと、設備を破壊しては金品を奪っていく。
当然、組織の方でも警戒して警備も強めているのだが、どうしても裏をかかれてしまうのだ。
すでに被害総額は無視できない金額となっており、組織総出で血眼になって探しているが有益な手がかりをいまだに掴めていない。
今回の移送では細心の注意をはらい、関係者にも寸前まで詳しい情報は伏せられていた。それでも、待ち伏せを受けてしまっていた。
(それを知りえたのは一握りの人間だけだ……まさか幹部クラスに裏切り者がいるのか!?)
自身が裏切りによって成り上がった者が故に、ロドリゲスは誰も信用していなかった。
その上、失敗した者には制裁を加える恐怖によって組織を支配しているのだ。
その恐怖は末端の構成員にまで行き渡っているが故に、いまも目の前の腹心は失禁でもしかねないほど震えている。
その弊害で失敗を恐れて、指示を仰ぐばかりで有効な手を打とうともしないのだった。
(くそッ、役立たずばかりがッ)
多額の懸賞金を掲げて情報提供を募ってはいるがそちらも芳しくはなかった。逆に偽の情報を掴まされて振り回されている始末で、そちらも有益な情報を得られてはいない。
そうでなくても、襲撃する連中の手口は巧妙なのだ。スラム街に精通しており、迷路に複雑な地形を有効に使って襲撃と逃走を繰り返しているのだ。
「それでもまったく手懸かりを掴めないというのは流石に奇妙だな……まさか、住民が手助けしているとでもいうのか?」
今回の襲撃でも道路に車が落ちるほどの大きな穴が掘られていたと報告があった。
人目につかずにそんな穴を掘ることなど不可能だろう。それなのに周辺での聞き込みでは有益な情報を得られていない。
だが、もし周辺の住人たちも協力して穴を掘っていたというのなら、彼らも共犯者なのだから口が固いのも合点がいく。
「なら、やりようがあるな……おい、目的地を変更だ」
手元の操作パネルによって運転席を隔てる壁を下げたロドリゲスは、お抱えの運転手へと新たな目的地を告げると、スーツをキッチリと着込んだ褐色肌の男は頷いた。
今や国内最大の犯罪組織のボスとなったロドリゲスは、政治家や都市部の裕福層との繋がりも深い。
彼らに馬鹿にされないよう運転手付きの英国製の高級車を愛用しており、運転手もメーカーで特別な研修を受けた有能な男だった。
その運転技術は、車体が旋回してもグラスに注がれた液体が揺れぬほど見事なものであった。
(やはり、ボスとなった俺にふさわしいのはこういう一流のものだな)
並々とグラスに注がれた琥珀色の酒を一気に飲み干すと、ロドリゲスは相変わらず趣味の悪いスーツ姿でシートに身を埋めると満足そうに笑みを浮かべるのだった。
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