淫獣捜査スピンオフ 双極奴隷たちの調教クルージング
【1】乗船
白い街並みがつくりだした迷路のような路地を抜けると、目の前には紺碧のエーゲ海が飛び込んでくる。
燦々と照らす太陽の光を受けながら埠頭へと向かう女に、停泊しているボートで作業していた男たちは手を止める。
女が身に付けているのはカジュアルなパンツスーツなのだが、それが良く似合っていた。
身体にフィットしたズボンは彼女のスラリと長い美脚を引き立たて細く括れた腰を強調する。ジャケットの隙間から覗きみえるラインの美しい胸に膨らみゴクリと喉を鳴らしてしまう。
シャギーをかけられた黒髪を靡かせて、カツカツと歩く姿のなんと洗礼されたことか。
青空の下にいる彼女の姿はまるで映画のシーンのようだと全員が見惚れていた。
男たちの視線が集まる中、女は悠然と歩いてゆく。
中には意を決して声を掛けようとする者もいたのだが、流し目で見つめられて微笑まれると少年のようにドキマキさせられて骨抜きにされてしまうのだ。
そうして、男たちの合間を抜けて埠頭の先端までくると、レイバンのサングラス越しに海を見つめている。
その視線の先には一隻の純白の船がいた。
――純白の乙女号
全長三百六十メートル、総トン数は二十三万トンを超える世界最大級の豪華客船だ。
まるで洋上に浮かぶビルのような巨大な船体には十八のフロアと二千近い客室があり、乗員乗客を合わせて八千人を収容することができる。
船中には高級レストランや劇場など様々な娯楽施設が用意されており、ブランド品を取り揃えたショッピングモールまで完備されて乗客が快適なクルージングが楽しめるようにされているのだ。
だが、その純白の乙女号に乗るには、いくら金を持っていようが無駄なのだ。
実は個人所有の船であり、船のオーナーの招待がなければ足を踏み入れることすら敵わない。
それに、運良く招待状を手に入れたとしても気を付けた方が良いだろう。
オーナーは裏社会にも関わる人物であり、招かれた乗客らも同様の人種ばかりなのだ。
船内はオーナーが支配する独立国家であり、定められているルールが全てになる。
それを破った者の生命は保証されず、仮に逃げ出そうとしても外洋であればサメの餌になる運命は必須なのだ。
そんな危険な場所であるが、その特異性から裏社会の者たちには重宝されていた。危険な取引や交渉の場としても安全と中立が保たれる場所は貴重なのだ。
「時間通りですわね」
巨船から迎えの連絡艇が降ろされると、高速でこちらに向かってくる。
それを待つ女を突然の突風がひと足早く迎える。
海からの強風によって首に巻かれていたスカーフが激しくはためいた。
反射時に押さえようとした指先をスルリと抜けてスカーフは宙を舞っていた。
かわりに露になった首輪に女の指先が触れると、プラチナのプレートに刻まれた”007”の文字を確かめるように優しく撫でていく。
「やれやれ、ツイてないですわね」
風に乗って高々と飛び去っていくスカーフを横目に苦笑いを浮かべた女――ナナは到着した連絡艇に搭乗していくのだった。
足を踏み入れた豪華客船の船内は外装に劣らず豪勢な内装を施されていた。
通路にくまなく引き詰められた濃赤の絨毯は、踵が埋まるほどにフカフカで、歩みを進めると六層を貫く吹き抜けが現れる。
そこには国際色豊かな大勢の人が、快適に過ごしている姿を確認できた。
服装はフォーマルやカジュルとバラバラだが、共通しているのはその身にまとう暴力の気配だろう。
子犬を抱えた物腰の柔らかな老婦人ですらそうなのだが、誰もがそれを当然といった顔をしているのが面白い。
それとなく観察しながら歩みを進めたナナは、記憶している膨大な人物リストと照合してみるのだった。
(麻薬組織のボスに軍事国家の独裁者、CIAの暗殺リストに並ぶテロリストの方々もいますわね。さながら悪党の展示会ってところかしら、さぞかしラングレーで対艦ミサイルを撃ち込みたくてウズウズしている方がいそうですわね)
その言葉は冗談ではなく事実だった。
吹き抜けの天井には陽光を取り込むステンドグラスが埋め込まれているのだが、もしその先を見通す者がいれば衛星軌道上から向けられているレンズの存在に気付くだろう。
キーホールと呼ばれる監視衛星によって船の位置は常に大国に把握されていた。そして、出入りする人物もチェックされているのだ。
だが、いまだにこの船に軍隊や警察が足を踏み入れたことはない。
小国の軍隊よりも強力な私兵が警備を固めているのもあるが、それ以上にオーナである人物が各国に太いパイプを持っているのだ。その圧力によって各国の諜報機関は指を咥えて見てるしかないのだった。
(まぁ、今の私には関係ない話ですわね……それにしても何処にいるのやら、呼びつけておいて姿をみせないとは……いつも通りとはいえ困ったものですわ)
主人である紫堂 一矢(しどう かずや)は犯罪シンジゲートの幹部だ。
元々は日本の暴力組織の人間だったが、母国を離れてアメリカ大陸に拠点をもつ組織に身を置いていた。
彼は遣り手の経済ヤクザでもあり、様々な企業の買収も行っており、新たに傘下にしたヨーロッパの医療企業の視察に訪れていた。
それに同行する秘書として命じられたナナだが、途中で急に別行動を言い渡されたのだ。
おかげで彼女自身も所要も済ますことができたので問題なかったが、合流場所として指定してきたのが、この船だったのだ。
だが、船で合流するとはいっても船内は小さな町ぐらいの規模がある。立体的に入り組んだ空間から出会うのは至難の技なのだった。
(あんまり見つからないようなら迷子の呼び出しでもしてみようかしら……)
冗談ではなく本気でそう考え始めたのは探索を開始してからニ時間が経過したころだった。
「ふぅ……また、なにかを企んでるのでしょうね」
紫堂の側近として側に置かれてから秘書的な立場で使われることも多いナナである。
だが、本質は男に性的奉仕をする牝奴隷なのだ。組織から人身売買も任されている紫堂の元にはそういう女が大勢いた。
拐われた女、自分の意志で堕ちた女、キッカケは様々だが全員が牝として扱われる立場だ。
だが、ナナは奴隷娼婦としての能力もさることながら、普通に秘書としても実に有能であった。
人の心を読めるかのような観察力、一度見たものを忘れない記憶力など類稀な力を有しているのだ。
そんな彼女の能力に惚れ込んで、紫堂はナナを側近として扱い、同行させることが多いのだった。
(そのお陰で、随分とあの方の人柄も観察できましたわ)
どこかで困惑しているナナを眺めてほくそ笑んでいる様子が容易に想像できるのだ。
(それにしても、おかしいですわね)
いつもなら得意のプロファイリングで彼の行動を予想して居場所を探り当てているのだが、今回ばかりは上手くいかないのだった。
近くにいると思うが、それらしい人物を見つけることができないのだ。
その代わり、別の事態に遭遇することになるのだった。
(――うッ)
突如、首筋が粟立ち、背筋に悪寒が走った。
その心臓を鷲掴みされるような嫌な感覚には覚えがあった。
(やれやれですね、ホントに今日はツイてない日のようですわ)
嘆息して嫌な気持ちを吐き出すと、普段通りの笑顔で振り向く。すると通路の先に予想した人物を発見できた。
黒いスーツ姿を着込んだ初老の男だ。痩身で好好爺といった雰囲気を醸し出しているのだが、彼女には寒気のするような殺気を感じられる。
猛禽類のような鋭い眼光が射抜いてくるのだが、ナナは笑顔で受け止めてみせる。
それにしても通路には他にも多くの乗客がいるのだが誰もそれに反応していない。
全員が気配には敏感に反応する裏社会の関係者であり、こんなところで殺気を放てば銃を一斉に向けられても文句はいえないはずなのだ。
(相変わらず器用な方ですわね)
男が殺気に指向性をもたせて放っているからだった。
多くの人が行き交う通路でひとりの人物にだけ殺気を放つという尋常でない行為をやってみせているのだ。
――支配人
組織内でそう呼ばれている紫堂の片腕だ。
本名も過去の経歴も一切が不明な人物だが、放たれる殺気からも全身数知れない修羅場を潜り抜けてきたのが容易にうかがえる。
ボスである紫堂に絶対の忠誠を誓っている男であり、極端な男尊女卑の考えの持ち主であった。
ナナがボスの側に置かれていることが気にくわないようで、ことあるごとに先ほどのような嫌がらせをしてくるのだ。
だが、立場でいえば相手が上であり、無用な波風を立てるようなことをナナは好まない。
近づいてくる苦手な男に対しても恭しく頭をたれることもできるのだ。
「これはこれは、支配人様。貴方さまもお越しとは驚きました」
その言葉に偽りはなかった。本来なら日本に滞在しているはずで、紫堂が帰国をする前準備をしているはずなのだ。
なぜそれをナナが知っているのかというとボスの秘書として組織の主だった人物のスケジュールを全て記憶しているのだ。
もちろん、そのことをひけからす事はしない。それどころか彼の殺気に怖じけづいて、恐怖を感じている風まで装ってみせる。
「ふん、女狐がッ、下手な芝居などすしおってッ」
「いえいえ、貴方様の眼光に射抜かれてこの通り、心臓がドキドキしておりますわ」
「牝のくせに調子にのるでないわッ」
声に苛立ちを滲ませる支配人だが、周囲に人がいてはそれ以上はしてこない。
それをナナも見越しているのだ。お互いに牽制し合うふたりの間で不穏な空気が流れる。
「まぁいいッ、それより主はどうした」
先に切り上げたのは支配人だっ。たどうやら、彼もまた紫堂に呼ばれて来たようで、ナナと同じく彼を発見できずにいたのだ。
同行しているはずのナナも探している最中だと知って再び苛立ちの気配をみせるが、それもすぐにおさまる。
彼の懐で端末が振動して着信を知らせたからだ。しかも、送信相手が探している紫堂本人だったのだ。
「はッ……はい……私です」
通話のために背を向けられてようやく威圧からも解放されたナナは、彼の背後に立っていた人物にようやく気づく。
支配人の放つ気配の大きさとは対照的に異様に存在感が薄いために、その人物に気がつくのが遅れたのだ。
背中まである長い白髪の女だ。長い前髪の隙間から見える目はまるでガラス玉のようで、なんの感情も見せずにジッとこちらを見ている。
整った顔立ちだけに、青白い顔で感情のない表情で立たっている姿はまるで幽霊だ。
通路を行き交う人々はその存在に寸前で気づきギョッとするが、男たちはすぐに好色そうな表情を浮かべる。
それは彼女の姿に理由があった。女が身に付けているのは漆黒のボディスーツなのだ。
細くしなやかな体躯を包む極薄い素材は、細かい隆起までもクッキリと浮き立たせている。
硬く尖る乳首や異様な迫力のある双乳、引き締まった腹筋に股間の秘唇までもがハッキリと視認できてしまうのだ。
まるで裸体を黒く塗りつぶして妖しくテカらせたような姿は、ある意味では裸体よりも淫靡さが増している。
好奇と性欲の混じった視線を周囲から浴びるのだが、当人には気にする様子もない。
マネキンのように、ただ、そこに立ち、濁った瞳でナナを見つめているだけなのだ。
「貴女も来てたのですか……はぁーッ、相変わらず辛気臭いですわね、シオ」
彼女もまたナナと同様に紫堂に気に入られている牝奴隷だった。
その証である首輪をはめており、そこに装着されたプラチナプレートには”004”と刻まれていた。
紫堂は極端な実力主義の考えの持ち主で、経歴などの細かいことは気にしない人物だった。
気に入ったものには物でも人でもナンバリングを振りわけて、愛称を勝手につける変な癖がある。
支配人やシオ、そしてナナも彼により命名されていたのだ。
メンバーによっては難色をしめすが、ナナと呼ばれるのは意外に気に入っていた。
(ちょっとセンスがあれですけどね……)
シオも紫堂による命名であるが、立場はナナとは少し異なる。
シオは支配人が育て上げた牝奴隷だ。
海外に脱出した紫堂が最初に手にした奴隷であり、調教師で支配人が手塩をかけて徹底的に調教を施した特別な奴隷なのだ。
苛烈さでは組織内でも有名な支配人の調教によって心を砕かれ、従順な駒として使えるようにされた結果、今では彼の手腕を忠実に再現できる調教師として生まれ変わっていた。
だが、その際の影響によって感情の起伏が乏しくなっているようだ。普段はいまのように人形のように反応が薄いのだ。
(それが逆に良いとおっしゃる殿方もいらっしゃいますけどね)
支配人直伝の調教を施す際は鬼気迫るものがあり、そのギャップも人気だった。
いろんな意味でナナとは対極的である存在であり、組織が運営する会員クラブでも人気を二分していた。
「まったく、その姿でここまで来たのですか……少しはドレスコードとか考えたらどうです?」
「……マスターが命令するのであれば着替える」
「貴女ねぇ……」
同じく牝奴隷であり調教師でもあるナナではあるが、彼女は自らの意思で行動していた。
自由奔放で有能なナナを紫堂は気に入り、牝奴隷の身分でありながら、何事にも気に入らなければ拒否する権限すら与えられているのだ。
だからか、終始マスターの命令を待っているばかりで自分の意思を見せぬシオを見ていると、どうにもイライラとさせられてしまうのだ。
(どうにも調子を狂わされますね……早く、あの方を見つけて別れたいところですわ)
そう強く願わずにはいられないナナであったが、事態は彼女の思惑通りにはいかないようだ。
「そんなに気に入らないなら、貴様が再調教してみろ」
連絡を終えたらしい支配人が端末を懐に仕舞いながら急にそんなことを言い出す。
「ボスは所用で数日は合流が遅れるそうだ。それまではこの船で待機しろとのご命令だが、どうせならシオにナナの相手をさせてみろとのお達しだ」
「いや、だからって……」
「安心しろ、貴様の調教などでどうこうなるワシの最高傑作ではないわ。それとも自信がないとでも言うのか? ナンバー7」
あきらかな挑発だが、わかっていても腹は立つ。
それに仮に強権を駆使して拒んだ場合、逃げたとしてもう強気な態度はできないだろう。
自由奔放にするにも意地は通さなけらばならない時もある。
「はぁ、わかりましたわ。その提案にのらせていただきますわね」
「よかろう……では特別フロアに貴様らの部屋を用意するとしよう。シオもそれでよいな?」
「はい、マスターが望まれるのでしたら……」
支配人は珍しく乗り気なようで、上機嫌で端末を手にしてテキパキと手配をはじめる。
それをナナは醒めた目でジッと見つめていた。
(下手な演技はどっちのことやら……なにが目的なのかはわかりませんが、その思惑にのってあげましょうか。日頃の鬱憤を存分に晴らさせてもらいますからね)
支配人の背にむけて乾いた笑みを浮かべてみせるナナを、シオの人形のような瞳がジッと見つめているのだった。
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