無法の街 (1/3)

 その部屋は見るからに廃墟だと思ってしまうような荒れ具合だった。
 色の褪せたカーペットの床には瓦礫が散乱していて、血痕らしき染みまである。天井などは所々で化粧板が剥がれ落ちて剥き出しになった配管や空調のダクトの奥には星空まで見えていた。
 窓があったであろう壁には大穴が空いており、それを塞ぐように板が打ち付けられているので外を見ることはできないが、元は宿泊施設だったのはボロボロのキングサイズのベッドがひとつ、部屋の中央を占有していることからうかがえた。

(そこに同僚の刑事であった沙流 初葉(さりゅう はつは)が横たわっていた)

 気を失っているのか瞼は硬く閉じられ、七三に分けている前髪がハラリと顔にかかっている。
 派手さはないが整った顔立ちで、ボーイッシュなショートヘアとやや太めの眉と細い目でキツイ印象をあたえる女性だが、今のように眠りについて無防備な寝顔は無邪気な子供のようで可愛いげがある。
 かすかに聴こえる寝息にあわせて、白いブラウスの上からでもわかる豊かな胸の隆起が上下を繰り返していた。そのたびにボタンが全て外れたブラウスの隙間から、レモンイエローのプラジャーに包まれた豊乳が見え隠れをする。
 普段は着やせしてみえるが、バストは深い谷間をつくるほどのボリュームをもち、細く括れたウェストと見事な桃尻の大きなヒップというムッチリとした肉感が豊かな肉体の持ち主だった。
 その下半身にいつもはいているグレーのズボンは、膝のところまで下げられていた。その為、ブラジャーとお揃いのショーツが露出しており、レースを豪勢に使用したデザイン越しに黒い茂みが透けて見えている。
 うっすらと汗をかいているのか、濡れて張り付いた布地は股間の盛り上がりまでクッキリ浮き出させていた。

「ん……んん……」

 そうしているうちに、彼女が覚醒の気配を見せはじめた。眉根を寄せて苦しげに顔を揺するとゆっくりと瞼をひらいていく。
 まだ意識が混濁しているのかボーッと天井を見上げたまま動きを見せない。だが、すぐに自分の身に起きている違和感に気がつくことになった。
 彼女は拘束具によって身体の自由を奪われていたのだ。

「ん?、んぐーッ」

 スッとしたラインの鼻の下から顔半分を黒革製の口枷で覆われていた。口の所だけは丸い穴が設けられているようだが、今はそこもゴム栓が押し込まれて蓋がされている状態だった。

「ぐッ、うぐぅぅッ」

 声を出そうとしても低い呻き声しか出せないようだ。どうやら口の中にも何かが押し込まれているのだろう。
 そして、両腕も背後で拘束されていた。
 背後でまっすぐに揃えられた両腕の指先から二の腕までを袋状の拘束具がスッポリと覆っている。袋の口から伸びた二本のベルトが胸の上で交差するように上半身に巻き付いているので自力で解くのは難しいだろう。
 実際、自由になろうと奮闘していた彼女だが拘束具が緩む気配すらなく、逆に衣服の着崩れがひどくなる一方だった。

「ふーッ、ふーッ」

 額に汗の珠を浮かせ、苦しげに鼻で呼吸する。口を塞がれて息苦しいのもあるのだろうが、止まらぬ汗でブラウスが激しく濡れていく様子から室温も高いようだ。濡れて張り付いた布越しに肌が透けてみえていた。
 不測の状態に動揺が隠せぬ彼女であったが、動きを止めて瞼をゆっくりと閉じはじめた。

「ふぅ……ふぅ……」

 空手の稽古で行うように意識的に肺から息を多く出して呼吸を整えていく。
 再び瞼を開いた時には彼女の乱れた呼吸とともに心も落ち着きを取り戻していた。
 ベッドに横たわったまま、ゆっくりと周囲を観察すると下半身をベッド端へとずらしていく。そして、床との段差を利用して上体を起こすことに成功させるのだった。
 そのまま立ち上がってみせる彼女だが、膝上までズリ下がったズボンを戻すのは両手が封じられた現状では無理そうだった。それどころか、今のままでは動きも大きく制限されてしまうだろう。
 同様の判断をくだしたらしい彼女は、脚を動かしてズボンを足元まで落とすと躊躇なく脱ぎ捨てていく。
 ほぼ下着姿となった彼女は、瓦礫で素足を怪我しないように慎重に移動すると、部屋の出口であろうドアの前で聞き耳をたてて外の気配をうかがう。
 ひとまず安全だと判断したのだろう。拘束された後ろ手で器用にドアレバーを下げると、そのままドアの隙間から部屋の外へと出ていった。



 一年前、沙流 初葉(さりゅう はつは)が部署に配属されると俺が教育係に任命された。
 事前に見せられた資料では有名私立大学を首席で卒業した才媛で、一昔でいうところのキャリア組と呼ばれるエリートコースにのるべき人材だった。
 将来の上司にゴマをするのが好きな連中なら小娘の相手をするのも役得と考えるだろうが、同僚たちに昼行灯と囁かれながらも単独で好き勝手やっている俺にとっては邪魔でしかなかった。

(目障りな存在に鈴をつけて監視させよう――面倒事を嫌う課長の考えそうなことだな)

 そもそも警察学校出で交番勤めから叩き上げで刑事になった俺からすれば、そんないい大学を出てわざわざ刑事になろうという奴の気がしれない。
 それも不正はこびるこのクソたれな街に自ら配属を望んだというのだから呆れるばかりだ。

(それとも事件の多いこの街なら手柄を立てやすいと考えたか?)

 どうせすぐに上に昇って指揮する立場になるのだろう。それまで精々、現場の厳しさというやつをを教えてやるのも一興かもしれない。

『よろしくご指導をお願い致しますッ』

 真っ直ぐな目で俺を見据えて教本通りな見事な敬礼で挨拶してきた彼女は、そのまま無表情のままジッと睨んできた。正直、愛想がない奴だというのが俺の第一印象だった。
 その後も愛想笑いのひとつも浮かべずに俺の指示に素直に従って黙々と仕事をこなしていく。
 当初はノンキャリアな俺が相手だからかと思いもしたが、そうした態度は上下関係なく署内の人間全てに対して同様なのがすぐにわかった。
 そんなだから下心ある連中もそんな新人相手に接し方に困ったようで、結局は俺に全てを押し付けて安堵していた。

(やれやれ、貧乏くじだな……まぁ、給料分の仕事はちゃんとするさ)

 愛想を求めなければ、有能で手が掛からない相手であった。
 特に物覚えが非常に早く、渡した資料は翌日には全て頭の中に入っていた。大通りですれ違った大勢の通行人の中から資料の写真に映っていた人物に気付いたことも多い。
 それでいて運動神経もなかなかのもので、狭い裏路地裏を逃げ続ける容疑者をまわりこんであっという間に確保するし、ドラッグでラリった半グレ連中を単身で病院送りにしたことも珍しくない。

(噂では、その大きなお尻とスラリとした長い脚に見惚れて、ちょっかいを出した署内の色男どもが何人も痛い目をみたらしいな)

 そんな有能な彼女だが、愛想以外にもいろいろと欠点も多かった。
 俺たち現場の人間は大事の前の小事として情報を得るために裏側の人間と取引や駆け引きをする場合も多い。だが、そういう行為が馴れ合いや癒着を招くといって毛嫌いするのだった。
 将来、本庁に戻れば派閥争いで苦労しそうな性格に内心で苦笑いを浮かべてしまうのだが、俺が失ってしまったその実直さを少しだけ羨ましくも感じてしまっていた。

(あと、大きな欠点をあげるなら私生活のだらしなさだな……)

 時間が不規則な仕事であるので俺も人の事を言えないが、連日の張り込みの疲労から風邪をこじらせた彼女を送り届けようと訪れたマンションの惨状には呆れてしまった。
 所轄の一等地に建つ高層マンションの広いはずの室内。そこには大量の書籍やら資料が山積みになっていた。その隙間にはゴミの詰められたビニール袋で溢れかえっていて、わずかに人が通るための足置き場と寝るためのベッドの上にしか人の為の空間がない状態だったのだ。
 そんな所に病人を放置して去ることもできず、看病がてらに部屋の掃除を一日中する羽目になってしまった。

(あぁ、それからだったな……)

 それまで俺も含めて署内の人間とは一線をひいてる感があった彼女だったが、病気から復帰すると俺には時々屈託のない笑顔を見せるようになっていた。
 下手をすれば親子ほども歳が違う相手だったが、不意打ちでみせられる笑顔にドキッとしてしまう。慌てて自分を戒めるのだが、若い女性になつかれて悪い気がしないのも事実だった。

(まったく、焼きがまわったな……)

 その頃になってわかった事だが、愛想がなかったのは余裕がない裏返しであったらしい。俺に呆れられないように必死にプライベートの時間も使って補っていたのは自宅に積まれた大量の資料や書籍を片付けてわかった。
 そして、不正を許せない性格も、政治腐敗と麻薬撲滅に奮闘していた弁護士の両親がこの街で凶弾に倒れたのが理由だと後に彼女から教えてもらった。

(まったく不器用な奴だな……)

 人付き合いが苦手で生きるのに不器用なところでは俺も負けていないが、それでも愚直に進みながら真っ直ぐでいつづける彼女を眩しく感じてしまう。

(それに、意外に強引なところもある……)

 一度気を許すと懐に入ってくる性格のようで、私生活のだらしなさが俺に露見したのも加わってグイグイと距離をつめてきたのだ。

(気が付けば相棒の小娘に振り回されている俺がいた)

 捜査の下見や調査と称して貴重な休日に連れ回され、勤務明けには自宅マンションで酒飲みに付き合わされる日々が続いた。

(そういや酒癖も悪かったな……)

 アルコールが入ると普段の無口が嘘のように喋り続けるようになる。こちらが適当に相槌を打っていると拗ねて絡んでくるのだった。
 それからトロンと瞳を潤ませながら、暑いといって素肌をさらして肉薄してくるのだから始末が悪い。
 そこまでされて、無下にできるほどに俺も冷徹ではなかったらしい。執拗なアタックについには根負けして、一夜を共にしてしまっていた。

(誰にも気を許さずに一匹狼でいた俺はどこにいってしまったんだか……)

 小娘に振り回される俺の姿に周囲は驚いていたようだが、一番困惑していたのは俺自身だろう。
 すっかり調子を狂わされて、相手のペースに乗せられてしまっている自分が信じられなかった。

(冷静な状態ではなかった……だから、俺はすぐ気付けなかった……)

 所轄で押収された麻薬が実際に押収されている量と保管されている記録に開きがあることを彼女は密かに調べていたのだ。その事実を課長から告げられた時には全てが手遅れだった。
 次の日には彼女にはアメリカでの研修の辞令が下っていた。その日のうちに住んでいたマンションももぬけの殻になっていた急な出立だった。

(そして、それ以降に彼女から連絡がくることはなかった……)