タナトスの囁き −双隷侵蝕−

【7】 謬錯 −自ら下した決断−

 服を着るためにリビングを出ていた紅は扉を開けて入ってくると、そのままキッチンに寄ってお湯を沸かしはじめる。
 しばらくして甘い香りとともに戻ってきて、煎れたてのハーブティーをソファに座る真帆へと差し出した。

「はい、よかったら飲んで」
「ありがとう」

 記憶にない映像にショックを受けていた真帆であったが、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
 だが、まだ不安を拭えきれぬようで、受け取ったカップの水面がわずかに揺れている。それを誤魔化すようにカップへと口をつけた。

「あぁ、美味しいわ」

 室内に漂うアロマの香り、それを何十倍にも濃厚にした風味が鼻腔を抜けていく。
 途端に激しく揺れていた心がみるみる鎮静化していくのがわかる。独特のクセにもすっかり慣れ、今では逆に飲まないと落ち着かないぐらいになっていた。

(すっかりハマってちゃてるわね)

 そんな事を考えて、ついクスリと笑う余裕まででていた。
 その様子を見ていた紅は目を細めて微笑むと、自分もソファへと座った。

「少しは落ち着けたかい? ごめん、思慮が足りなかった」
「ううん、もう大丈夫よ」

 心配そうに膝に手を置いてきた紅を安心させようと、真帆はカップをサイドテーブルに置いてその手を握りしめた。紅もホッとした表情をみせると、強く握り返して指を絡めていく。

「ところで、さっきの映像の時のこと……やっぱり、記憶にないの?」

 紅の質問に、あらためて記憶をたどる真帆。だが、やはり心当たりはなかった。
 ただ、帰国してからのここ数日、頭に靄がかかったように思考がさだまらないのだった。時差ボケとも考えていたが、こういう事態があるとそれも疑問に思えてくる。
 そのことを伝えると、紅は顎に指をあててなにか思案しだした。

「そういうこと……えーと、その記憶にない行動をした経験って前にもあるのかな?」
「ない……はず……少なくとも、周囲に言われたことはないわ」

 真剣な表情を浮かべて、いくつか質問をしてくる紅に、真帆は彼女が妹と同じく心理学を学んでいることを思い出した。だから、それに可能な限り正確に答えようとしていた。
 そうして、いくつかの質問を終えた紅は、しばらく考えた後に自分の考えを口にした。

「……多分、強い心因性のストレスによる一時的な記憶障害……記憶の混乱が起こっているんじゃないかと思う」
「それって……」
「うん、美帆のことで真帆自身が思ってる以上に心に負荷がかかってるんだと思う。それによって、真帆の深層意識……無意識に抑え込んでいた心が、あぁやって出てきたんだよ」
「あれが……私が無意識に抑え込んでいた心……」

 説明の言葉を噛み締めるように呟く真帆に、紅は目を細めて頷くと説明を続けていく。

「さっきの映像、あれは真帆が美帆に会いたいという強い意思のあらわれなんだ。その為に必要だと思っていたことを口にしたのだと思う。真帆は、あの内容が間違っていると思うかい?」
「え、それは……間違ってない……と思う」
「あぁ、よかった。ここで無理矢理にでも否定してしまうと症状が悪化してしまうからね。さっきも言ったとおり、あれも真帆の心の一部だから、ちゃんと受け入れてあげないと心がバラバラになりかねないんだ」
「そ、そんな……それじゃ、どうすれば……」

 それから紅は専門的な用語も交えてより詳しく説明していくのだが、動揺しはじめた真帆の耳にはほとんど入ってこなかった。

(あぁ、落ち着かなきゃ……)

 激しく揺れる心を落ち着かせようとカップを手にするものの、その水面は心の状態を知らしめるかのように激しく波立ってしまう。
 美貌が不安でがみるみると顔が青ざめていくその様を、紅は観察するようにジッと見つめていた。

「まずは真帆の深層意識を認めてあげることからだね。自分の一部だと受け入れて、心を繋ぎ合わせていくんだよ」
「それって、もしかして……」
「うん、真帆も聡明で助かるよ。画面で言っていたことは真帆の心が強く望んでいることだからね、それを満たしてあげるのが一番だよ。結果的に、それが美帆を理解する手助けにもなるしね」

 心の治療なんだと真剣な表情で語られる説明を聞きながら、その一方で真帆の心の隅には、なにかが引っ掛かるものがあった。

(紅は間違ったことを言ってない……でも……この胸でモヤモヤするものはなんだろう……)

 それがなにか考えようにも、頭には靄がかかって邪魔をする。

(あぁ、なんでこんなにも頭がまわらないの)

 焦れば焦るほどに心が激しく揺れて、今にも不安で押し潰されそうだった。
 普段の真帆を知る者が、いまの彼女を見たら驚くことだろう。常に落ち着いた佇まいで教授陣にも臆することなく自説で論破していた彼女が、まるで迷子の幼子のように震えて涙を浮かべているのだ。
 真帆に少しでも客観的に自分をみる余裕があれば、今の異常な状態を認識できただろう。だが、今はそれはできなかった。

「こんなにも一生懸命に説明をしているのに……真帆は、わかってくれないんだね……」

 その言葉にハッとすれば、悲しそうな眼差しで見つめている紅に気がつく。
 考えるのに没頭してしまい、つい紅を疎かにしてしまっていたのだ。

「ち、ちがうわ……私はただ……ッ!?」

 慌てて言おうとする謝罪の言葉も途中で途切れてしまう。紅の頬を伝う涙――それを見た途端に、激しい罪悪感に苛まれていたからだ。
 胸が締め付けられるような苦しみと、紅にすまないという想いでいっぱいになる。
 次の瞬間には、手を伸ばしてポロポロと涙を流しはじめた紅を抱きしめていた。

「うぅ……」
「あぁ、ごめんなさいッ、私ったら貴女を疑ってしまって」

 泣きじゃくる紅の頭を胸に抱えて、必死に謝罪の言葉をかけ続けた。
 豊乳に顔を埋めて紅は肩を震わせている。その姿に、ついには自ら紅の提案を受け入れてしまうのだった。

「……私、紅のいう通りにしてみるわ」
「うぅ……本当に?」

 普段の頼りになる雰囲気とはうって変わって、甘えるように涙目で見上げてくる紅に、真帆は頭を撫でながら頷いた。

「うん、凄く怖いけどね。だって紅も雰囲気が変わってしまうんだもの」
「ご、ごめん。私もなんだか妖しい興奮に襲われちゃって……気をつけるよ」
「えぇ、お願いね」

 ふたりは見つめ合うと、クスクスと笑いあう。
 こうして真帆は紅の提案を断るチャンスを逃しただけでなく、自らSMを体験することを選んでしまった。
 その先で待ち構えるものも知らずに、今は無邪気に笑顔を浮かべるのだった。



「あぁ、やっぱり恥ずかしいわ」

 リビングの中央で全裸になった真帆が立っていた。身に付けていた服や下着は綺麗に畳まれて紅が部屋の外へと持っていってしまった。
 しばらくすると、代わりに鞄を手にした紅が戻ってきた。

「あぁ、やっぱり綺麗……こうして見ると、双子でも真帆の方が胸とかふくよかだよね」
「もう、そんなにジロジロ見ないで、恥ずかしいんだから」

 まるで舐めるように全身を見てくる紅に、真帆は両手で胸元と股間を隠しながら顔を赤らめる。
 だが、手で隠せぬほどの豊乳は、腕から溢れんばかりで逆に卑猥さを増していた。恥ずかしげに身体をくねらせる姿に、紅は目を細めて微笑んだ。

「ごめん、ごめん。つい真帆の身体が綺麗だから見惚れちゃった」

 端から見れば、見惚れていたというより、品評しているかのようであったが真帆には他に気になっているものがあった。
 紅が新たな鞄を手にしていたのだ。
 あの黒革の鞄とは基本的なデザインは一緒だが、赤革を使用しているのが大きく違った。まるで鮮血のような鮮やかな色合いに別の不気味さを感じてしまう。

「あぁ、これ? 真帆が寝ているうちに美帆の部屋で見つけたんだ。別のボンデージ衣装がはいってたから私が着ようと思って……だって、真帆だけに恥ずかしい想いをさせられないだろ?」

 そう言って微笑むと紅は自らも裸となっていく。日焼けした均整のとれた肉体が露になっていくと、その野性味を感じさせる小麦色のボディに真帆は純粋に見惚れていた。
 その様子にクスリと笑うと、紅は手をのばして強引に真帆を引き寄せた。
 胸の中で受け止めると、お互いの肌を密着させるように絡めあい、双乳を擦り合わせていく。そうして胸と額をあわせて、ふたりは見つめあった。

「そういう真帆だって……」
「あン、だってぇ……あッ、うむぅ……うふ……」

 唇が塞がれて紅の舌が口腔へと挿し入れられる。その舌の動きがもたらす悦楽に、途端に思考を蕩けさせられてしまう真帆であった。
 紅にリードされるように舌を絡ませあい、お互いの唾液を交換しあう。そうして透明な糸を引きながら唇が離れた時には、真帆は立つのもおぼつかなくなっていた。
 息を荒らげて、すがりつくように寄りかかる真帆を抱きしめると、紅は艶やかな髪を優しく撫でながら耳元へと口を近づける。

「私に任せれば大丈夫だよ。だから真帆は難しく考えずに、全てを受け入れてごらん」

 吹きかかる息にゾクゾクと身体を震わせながらコクリと頷く真帆。
 それを見下ろしながら、小悪魔的な笑みを浮かべた紅は瞳に冷たい光を宿すのだった。





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