ビトレイアー・メーカー

【1】 疑惑と友情

「おかしい……絶対にあるはずなのに……」

 深夜のオフィスビル、その最上階のフロアにある一室で、私、神羅 朱鳥(しんら あすか)は、苛立ちを隠せず呟いていた。
 その間も指先は休む事無くキーボードを叩き続け、目の前に並んだモニターに次々とウィンドウが開いては、高速でスクロールしていく情報を読み取っていく。

「少なくとも、寸前まであった形跡は残っているのに……もぅ、こう続くとこちらの行動が、漏れているとしか思えないのだけど」
『それを検討するのは後よ。巡回が来るまで、あと3分ッ』

 耳に差し込んだインカムから、バックアップとしてセキュリティを黙らせてくれている相棒の志良以 睦美(しらい むつみ)が、いつも通り凛とした美声で情報を伝えてくる。
 常に冷静沈着な彼女の声を聴くと途端に私の苛立ちは霧散して、代わりに口元には笑みが浮かんでいた。

「もぅ、分かってるって……はい、終了っと、撤収するから退路の指示をよろしくね」

 予定の時間よりも早く必要そうなデータを手持ちのメモリーにコピーし終えると、私は厳重な警備の目を縫いながら、全ての痕跡を消してその場から姿を消したのだった。



 医療用として密かに研究開発を続けられてきたバイオコンピューター。その性質上、電磁波など劣悪な環境にも耐えうるそれは軍需転用としての価値が見いだされていた。
 当然、政府によって海外への持ち出しを厳重に管理されているのだけど、そのメインとなるバイオチップが海外に極秘裏に持ち出されようとしているとの情報を、私の所属している情報機関がキャッチした。
 そして、それを確かめるべく問題のバイオチップを開発した企業への内偵が開始され、私を含めた数名も社員として潜入し、内部からの調査を開始した。だけど、調査を開始して3ヶ月が経過した現在でも、未だに有力な手掛かりを発見する事が出来ずにいる状況だった。
 昨夜のように、あたりをつけたサーバーや重要書類のある部屋に忍びこんでは強引に調査を繰り返してはみているものの、まるでこちらの手の内を読まれているかのように、その目的の情報だけが抜き取られていた。残された痕跡からみても調査を行う寸前に隠蔽作業が行われたのは確かで、それがこう何度も続くとなるとこちらの情報が漏れているとしか思えなかった。
 それならばと、今度は同じく潜入捜査で潜り込んでいるパートナーの睦美だけにバックアップを頼んで行動をしてみたのだけど、それでも結果は変わる事はなかった。

(まさか……睦美が?)
 
 睦美とは同期で、訓練生時代から共に辛い訓練を潜り抜けた仲でもあり、プライベートでも親交のある付き合いの長い友人でもあった。そんな彼女が実は相手方のスパイだとは、できれば疑いたくない。
 でも、そう感情では思う反面、その可能性を否定するべきではないと頭の隅では理解していた。

(最悪の可能性も考えておかないと……か……)

 これからどうするべきか、私は必死に思案する。その右手はポケットから携帯電話を取り出すと、ゆっくりとメールを打ち始めていた。



「……聞いてる? 朱鳥」
「え? えぇ、聞いてるよ、睦美」

 不思議そうに私の事を覗き込んでいる睦美に気が付き、ハッと我に返った。
 どうやら考えこんでボーっとしてたらしく、私は慌てて睦美に誤魔化し笑いを返した。そして、それとなく周囲を見渡して、今は睦美のマンションのテーブルで彼女と向かい合って夕食を共にしている最中だったのを確認する。
 几帳面な彼女の性格を表すように室内は整理整頓が行き届き、チリひとつ落ちてはいない。
 目の前に並べられた豪勢な料理の数々も彼女の手によるもので、そのどれもがお店で出しても遜色のないような出来栄えのモノばかり、料理や家事の苦手な私からすると羨ましい限りだった。
 
(私の家なんて、足の踏み場もないからなぁ)

 所狭しとモノが積み上げられた自室を思い出し、心の中でため息をつく。
 そんな私を、睦美は苦笑いを浮かべながら見つめていた。
 
「ここのところ、どうしたの? 急にボーっとする事も多いけど疲れが溜まっているんじゃないの?」
「えーッ、そんなにボーっとしてる?」
「うん、してるし、いつも気怠そうだよ。もぅ、深夜まで頑張りすぎなんじゃないの?」

 その睦美の言葉に一瞬、ギクリとする。だけど、目の前に座る彼女がニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮べているのに気が付くと、密かに緊張を解いた。
 セミロングの艶やかな黒髪と日本人形のような端正な顔立ちをしている睦美は、客観的に見ても美人といって差し支えなく、常に冷静沈着な行動と相まってどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。でも、こうして打ち解けて話してみるとサバサバした性格で私とは妙に馬が合っていた。
 そんな睦美とは研修生以来の腐れ縁で、思い立つと突っ走ってしまう私の制御弁としてコンビを組まされる事が多かった。
 今回の任務のような軍事機密をも扱っているような企業だとセキュリティレベルも桁外れに高く、外部からのバックアップが難しいとなると、彼女のような頼りになるパートナーの存在は重要だった。
 
「なんか……睦美が言うと、やらしく聞こえるよね」

 彼女にも内緒で、毎晩のように独断での調査活動をしている事を誤魔化す為に、わざとお道化てみせる。

「そう? 別に誰も恋人の上で腰振って頑張りすぎたんじゃないの? なんて言ってないでしょ?」
「――ブッ、な、な、何を言ってるのよッ!!」

 睦美の切り替えしに口をつけていたワインを吹き出しそうになりながら、自分でも自覚できるぐらい真っ赤な顔になって慌ててしまう。そんな私の様子に、睦美は目尻に涙を浮かべながらクスクスと笑い出した。

「あははッ、いつもながら慌てた朱鳥の姿は可愛いよね。大丈夫、普段は暴走気味に突っ走る朱鳥が、実は恋に関しては凄く奥手で、長く恋人がいないのも知ってるからッ!!」
「――なッ!? そ、そ、そんな……事は……」
「……ないの?」
「……くぅ……もぅ、しらないッ!!」

 クイッと手にしていたグラスのワインを飲み干すと、トロンとした目つきでテーブルに頬杖をついて、睦美は意地の悪い笑み浮かべる。
 普段、人前ではあまり感情を出さず淡々としている彼女だけど、こうして私と二人っきりの時はビックリするぐらい意地悪になって楽しげに私をからかう。
 そんな睦美に対して、私がいつものように頬を膨らませてプイッと横を向いて拗ねてみせると、彼女は嬉しげに益々その笑みを深めていくのだった。



「で、いいなぁっと思うような男性はそっちにはいた?」

 新たにテーブル上に並べられた料理の美味しさに、私がすっかり機嫌を直したのを確認すると、睦美は何気なく聞いてきた。

「うーん、私のいる秘書課は、社長や専務とかおじさんばかりだからね。でも、どの人も私の事を可愛がってくれてるよ。この前なんて専務が、一緒に行った出先で美味しいモノを沢山ご馳走してくれたんだよ」
「ふーん、そう……それは、良かった」
「そういう睦美のいる研究チームの方はどうなの? 睦美は美人だから大変でしょう?」

 なぜか私の言葉にホッとしたような様子を見せる睦美に私も話を向けると、彼女は少し困ったような表情を浮かべた。

「それがなんかねぇ。好色そうにチラチラと私の身体を盗み見されるのには慣れているつもりなんだけど、いつも誰かしらにジッと見られているのよ」
「それって、監視されているってこと?」
「うーん、それともちょっと違う感じなのよね。なんかこう、無機質な感じで、淡々と見つめているのだけど……しいて言えば、研究用モルモットを見ているような感じ?」

 睦美はその視線の事を思い出して薄気味悪そうに身体を震わせる。元々、男性が苦手な所がある睦美は、それを表に出さないように普段は感情を抑えているのだと、こうして2人きりで食事を楽しむようになってから教えてもらっていた。

「でも、少しでも信用を得て、セキュリティレベルの高い研究もさせてもらわないとね。肝心な所は研究主任をはじめとする数人しか知らないみたいだから」
「それなんだけど、専務と一緒に海外の企業との打ち合わせに同席してた時に、そのお披露目が近々あるって話してたよ」

 秘書課に上手く配属された私は、最近は、問題のバイオチップ開発を積極的に推し進めている専務に気に入られ、打ち合わせ等に同席する事が多くなっていた。

―― 魅力的な朱鳥くんと一緒だと、相手先も喜んでくれて商談が良い感じで捗るよ ――

 そう言っては、いつも機嫌良さげに美味しいモノをいろいろとご馳走してくれる専務の態度に、私も悪い気はしなかった。それに、お蔭で貴重な情報を得ることも多く、単独で行っている調査も順調に進んでいた。

「それだったら私もそのお披露目に同席できるように、上司にゴマでも擂っておこうかな」
「期待しているよ。ウチの機関一の凄腕な睦美さんには期待しているからね」
「もー、格闘戦に関してだけは、朱鳥の方が上じゃない」

 仕返しとばかりに少し嫌味を言うと、すんなりと睦美に返されてしまう。

「ははは、”だけは”なんて、酷いなぁ。まるで格闘馬鹿みたいじゃないのッ。ホント、睦美ってば私に対しては少し意地悪だよね」
「うん、だって私、好きな子は虐めたくなっちゃう派だから」
「もーッ、小学生の男子じゃないんだからさー、そうやってまた私をからかってもーッ」

 彼女の言葉に苦笑いを浮べると、睦美は珍しく少し複雑そうな表情を浮かべて笑っていた。