黒い辻風と調律師

【13】 月夜の交わり

 月が再び厚い雲の中に隠れて暗闇に包まれた室内に、辻風の苦しげな呻き声が響く中、黒革のソファから生えた無数の触手が辻風の身体へと絡みついていく。

「――くぅッ!!」

 次々と巻き付いてくる触手を引き剥がそうと奮闘する辻風であったが、その間にも黒い触手はソファから生え続け、みるみるとその数を増していく。
 触手の1本1本の力は成人男性の力を上回る辻風なら振りほどくが可能であっただろう。だが、こうも無数の数に絡みつかれてはそれも難しかった。

――ギチッ……

 四肢に絡みついた触手はそれぞれ両手を肘掛けへ、両脚を座枠に引き寄せ、太ももに巻き付いた触手は脚を開くように強要する。その上、更に伸びてきた触手が腰や上半身にも絡みつき、レースカーのシートベルトのごとくガッチリとソファの背もたれに辻風の身体を固定していった。

――ギリッ……ギリリッ……

 黒く鈍い光を放ち幅広のベルトのような平たい形状をした触手。その内側にはイソギンチャクのようなピンク色の細かいヒダがビッシリと生え揃えていて、ズルズルと這い回る度にそこから分泌されたヌメヌメとした粘液が辻風のボディスーツを濡れ汚していった。
 理想的なほど引き締まったウエストに巻き付いた触手はコルセットのように締め上げ、豊かな乳房を根元から絞り出すように縊り出しスーツの上からでも乳首がわかるほどにパンパンに張らせていく。
 魅力的なボディラインを浮き出させる漆黒のボディースーツを絞めあげられ、歪に変形させるほどの強い力でひとり掛けのソファにガッチリと固定されてしまった辻風は、そうして指先を動かす自由すらも完全に封じられていくのだった。

――ミシリッ……

 それでも諦めない辻風に対し、抗えば抗うほどに触手は締め付ける力を増し、体中の骨をミシミシと嫌な音を立てさせる。

「ぐッ、あぁぁ……」
「フッ、無駄な抵抗を止めることだね」
 月明かりのなくなった暗闇の中、冷笑を浮かべたクロは輝く紅き瞳で辻風を見下ろす。
 対する辻風は、痛みに顔を苦悶の表情を浮かべていたのだが、そのクロの笑みを見た途端、ピクリと柳眉を吊り上げたかと思うと、急に抵抗を止めて彼を睨みあげた。
 その彼女の眼差しを受けたクロは、紅き目を細めて残忍な光を放つ。

「気に入らない目だね……もう少し、痛めつけてあげようかッ」 
「――ッ!?」

 乾いた笑みを浮かべたクロの指先がパチンと打ち鳴らされる。乾いた音が室内に鳴り響いた途端、辻風の首に新たな触手がシュルシュルと巻き付き、ギリギリと容赦なく締めつけはじめた。

「どうだい? いいように弄ばれ悔しいかい? その気なれば簡単に辻風を殺す事も出来たんだよ。キミも私を畏れ、そして憎んだらどうだい?」

 首の締めつけに辻風の美貌が再び歪み、みるみるとが朱に染まっていく。だが、それでも辻風はクロを見つめる視線を外さず、どんどんと温度を下げていく眼差しを向けつづけるのだった。

「……ならば、これならどうだい?」

 クロに呼応して触手の締め付ける力はどんどん増し、首だけでなく辻風の身体を引き裂かんばかりに全身をギリギリと引き絞りはじめる。常人ならばバラバラになっておかしくない力に、流石の辻風の肉体も限界を迎えた。
 真っ赤な顔で肘掛けを強く握りしめ、全身がプルプルと痙攣を始めるのを止められない。だが、それでも辻風は変わらずクロと睨みつけ、決して視線を外そうとはしなかった。
 ジッと見つめ合い対峙する2人。だが、先に視線を外したのはクロであった。 

「……フン、強情だな」

 再びクロが指を打ち鳴らすと、辻風を絞め上げていた触手が、その力を急に弱める。

「ガハッ、ゲハッ……」
「どうだい? ここまで好き勝手されて、私を殺したくなっただろう?」
「…………」

 ニタリと口端を吊り上げ残忍な笑みを浮かべるクロに、辻風は再び柳眉を吊り上げる。ギリッ歯を食いしばり、ピクピクッと眉間に青筋すらたてはじめるのだが、それでも言葉は発せずに、ただジッとクロを見上げているだけだった。

「くッ、このッ!!」
「――ッ!?」

 苛立ちを見せ始めたクロの合図に、辻風の身体に巻き付いていた触手が新たな変化を見せ始めた。
 無数に生えそろったヒダからグジュリグジュリと粘液を滴らせ、まるで融解するかのように辻風のボディへと埋没していく。いや、正確には辻風の着ている漆黒のボディスーツへと同化しているのであった。
 同化し、半分埋没した触手からまるで人間の血管のような盛り上がりがスーツ表面に広がっていく。ピクピクと生々しく脈動を繰り返しているそのスーツの内側には無数のピンク色のヒダを生え揃っていくのが袖や襟元から垣間見れる。

「うッ……うくッ」

 肌に直接触れる触手の感触に、流石の辻風もザワリと毛を逆なでて美貌を歪める。それらは、まるで辻風を愛撫するかのように彼女の弱い部分を中心に全身で蠢きはじめた。

「つッ、はぁッ……うぅン…………」

 途端に辻風の鼻先から甘い艶声が漏れ始める。
 ソフトタッチな指先や、肌に這わされる舌腹とも違う人外による愛撫に対し、陥落しかかった矢先に先の戦闘でおあずけを喰らっていた辻風には、それに抗うだけの精神力は残っていなかった。
 必死に歯を食いしばるも、ゾクゾクと身体を駆け巡る甘い刺激に切なげに身を震わせ、悔しげに甘い声をこぼすと、徐々に息遣いを荒くしていく。
 だが、それでも辻影の瞳に宿る光は、その冷たさを増していくばかりだった。

「なぜ……なぜ黙っている? なぜ、そんな視線を私に向けてくるッ!!」

 ついに我慢できなくなったクロは、声を荒らげた。それに対して辻風は大きなため息をつくと、ようやく口を開くのだった。

「……虚しいな」
「……え?」

 長い前髪の間から辻風はジッとクロを見上げる。

「中身のないヤツが悪ぶっても、虚しく見えるだけだぞ」

 ポツリと呟かれる辻風の言葉に、クロはただ言葉を失い、ジッと彼女を見つめかえす。

「そんなに自分の本性を晒して嫌われるのが怖いのか? 化け物だと恐れられるの怖いのか? 私にはお前の浮かべるどの笑みも、心から笑っているように見えなかった」

 どこか寂しげな笑みを浮かべ見つめる辻風に、クロは手で顔を覆い、ヨロヨロとたじろぐ。

「な、何を言って…………」
「ハッ、暗殺者である私の観察力をナメるなよ、この人外がッ」

 吐き捨てるようにいい放つ言葉と裏腹に、今の辻風の眼差しには優しい光が混ざっていた。

「いつまでもそのヘタな悪党面を浮かべている気なのなら、ちょっと私にいっばつ殴らせろッ」

 ググッと無理矢理ひじ掛けから右手を引き剥がすと、その拳を握りしめてみせる。
 すぐに触手によって右手は肘掛けへと引き戻されてしまうのだが、クロの顔からそれまで浮かべていた表情を消し去るには十分だった。

「……まいったな……そこまでヒドいものなのか」
「あぁ、ヒドいな、最悪だな。今まで見た中で最低な悪党顔だった」
「なッ!? そ、そこまで……だいたい、食い殺されるかもしれない状況で、なにを根拠にそこまで言い切るんだか」
「ハッ、殺す気なら、チャンスなんていくらでもあっただろうに何をいまさら言っているッ!? 自分で言ってただろう? 『その気があったら、話しかける前に実行しているでしょう?』とな」

 そう言ってクロを見つめる辻風の眼差しには、まるで劣等生でも見る教師のような優しげなものが浮かんでいるのだった。
 その優しげな瞳にジッと見つめられ、クロはついに観念したかのように肩から力を抜くと、再び厚い雲から顔を出し始めた月から逃れるように自らのソファへと腰を下ろした。

「ホント……まいったなぁ」

 弱々しく肩を落として座り込むクロ。そんな彼の様子に再び大きなため息をつくと、辻風は打って変わって不貞腐れたように口をへの字にして悪態をつき始る。

「お前の似合わない悪ぶりようには、見ていて馬鹿にされてるようでムカムカしてしょうがなかったぞッ」
「…………」
「どうやら、私の中にはお前を受け入れろと囁く存在がいるらしい。それが何なのかわからないが、私自身もお前やあのメイドを変態だと思っても敵としては認識できてない。状況が状況だからなぁ、しょうがないからお前を受け入れてやるよッ」
「…………えッ!? それって…………」
「と、とにかくだッ!! 話せない事があるのなら素直に言えッ、中途半端にはぐらかされるのは余計に腹が立つぞ!!」
「…………すまない」

 憤慨する辻風であったが、不機嫌そうに頬を膨らませる姿は妙に子供ぽく、顔を覆っていた手を退けたクロは、つい口元を綻ばせていた。
 再び、差し込み始めた月明かりがクロの顔を照らす。そこに浮かぶ表情は、晴れ晴れとした笑顔であった。

「そ、それにだなぁ……い、一応はお前とあの変態メイドには……また助けられた形になった訳だし…………これでも私は…………一応は…………」

 それまで不機嫌だった辻風だが、急には慌てたように視線を外す。チラリチラリとクロを見ては視線が重なるたびに、慌てて俯き長い前髪で表情を隠す。それに伴って、喋る言葉もだんだん小さくなり、最後には聞き取れぬほどになっていった。

「なんだい? 最後の方は小さくてよく聞こえないけ……」
「う、うるさいッ!!」

 見透かしたような笑みを浮かべるクロの言葉を遮り、辻風は長い前髪の下でグッと下唇を噛んでみせる。

(まただ、アイツのあの視線を浴びると私の中でなにかか激しくざわめく)

 氷のように醒めた感情のはずの自分が、なぜか目の前の男に対して激しく心が揺らされる、その事実を辻風は認めた。
 なぜ目の前のこの男に気を許しているのか、同じ組織のメンバーにもしたことのない態度を、もう何度も晒しているのか、わからない事だらけだ。自分が今まで通りでいられない事に、落ち着かない気分であったが、それでも、それを不快に感じていない自分がいる事を辻風は徐々だが受け止めていった。

(まったく……しょうがないな……今だけ……今だけ、この内なる声にのってみるとしよう)

 怒鳴られ、肩を竦めて困ったように鼻の頭を掻く目の前の男に、辻風自身も気付かぬうちに自然に口元が綻ばせていた。



「ただ、ひとつだけ確認させろ」
「なにをだい?」
「お前に悪意がないのはその行動で理解しているつもりだが、結局のところお前は私をどうしたいんだ?」
「私は……いや、僕は……」

 心の中で整理をつけた辻風の真剣な眼差しに、クロは表情を引き締めるとそれを受け止めてジッと彼女を見据える。

「キミのことを、僕のモノにしたい」
「……ッ!?」

 まるでプロポーズのような言葉を真顔で告げられ、辻風は生娘のように頬を赤らめた。とっさに何かを言いかけ口を開きかけるが、それを飲み込み俯みグッと下唇を噛みしめる。
 そんな辻風の様子に、クロはただ微笑むと、指を組んでゆっくりと辻風が置かれている状況を説明し始めるのだった。

 現在、街には辻風が幹部連中を始末したシンジケートの生き残りが血眼で辻風の事を探しており、街の出入り口を完全に封鎖された共に、ぞくぞくと増員が集まっているという。
 そして、通称”黒き狩人旅団”と呼ばれる辻風の所属していた組織。そこが理由は不明だが急に辻風の廃棄を決定したという事実と、その為に先ほどの隻腕の剣士を含めたメンバーがこの街に派遣されたという情報を告げる。
 元々、シンジゲートに関して市長から依頼を受けていたクロであったが、正式にこれらの件に関しての処理する依頼を受け、警察等の介入を阻止することができるようになったという。

「キミを僕のモノにする為にも、僕は全力でキミを今の状況から助けたいと思ってる」

 真摯にそう告げるクロに、今度はゆっくりと面を上げた辻風が見つめる。先ほどまでの動揺は収まり落着きはらった眼差しで、まるで相手の心の中まで見通そうかというようにクロを見つめて観察すると、ようやく満足したように笑みを浮かべた。

「ようやく少しは腹の内をさらけ出して見れる面になったな。ヘラヘラと空っぽの笑顔ばかり浮かべているよりか、はるかにマシな顔になった」
「……ヒドイなぁ」
「で、どうせお前の事だから、コレもなにか意味でもあるのだろう? まぁ、その前にずっとこいつに蠢き続けられて、正直、生殺し状態なのだが……うンッ」

 触手に包まれた身体をゾクゾクと震わせ、辻風は白い歯を覗かせて熱い吐息をはきだす。
 肌はピンク色に上気し、ゾクリとするような潤んだ瞳をクロを見つめると、それまでの抜身の刃のような鋭い気配は消え去り、男ならゴクリと喉を鳴らして股間を抑えるような濃艶な色気を醸し出し始めるのだった。

「はやく……はぁ、はぁ、楽にしてくれないか」

 そこには凄腕の暗殺者の姿はなく、艶やかなリップを舌先で舐め、潤んだ瞳で見つめると、熱を帯びた媚声を放つ妖艶の娼婦のような女がいた。
 別人のように切り替わった辻風の放つ色気にクロは、誘われるようにゆっくりと立ち上がると辻風へと近づき、その頬へと指を伸ばしていく。

「あぁ、そうだね」
「……んッ、あぁ……」

 触れる掌の感触を楽しむように辻風も自ら頬を摺り寄せる。キリリとしたつり気味の目を細め、まるで猫科の動物のような仕草をみせると、辻風は潤みきった黒き瞳でクロを見上げた。
 窓から見える大きな月を背に二人のシルエットが重なりあっていく。

「あんッ……んン……ふぅ、むぅンッ」

 2つの唇が重なり合い、情熱的なキスでお互いの感触を確かめあう。そして、どちらとなく舌を絡めはじめると、ピチャピチャと水音を立てながらお互いの唾液を啜りあっていく。
 徐々に荒くなる熱い息をお互いに吐いてはキスを繰り返し、徐々にその身を近づけて密着していった。そんな二人の身体をスルスルと新たにソファから生えた触手が絡みついていき、一つの塊へとするかのように覆っていく。
 そうして、巨大な月が窓から見つめる中、2人と一体による異形な交わりが深夜を通しておこなわれていくのであった。





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