淫獣捜査 隷辱の魔罠

【57】 アイドル

――翠河 玲央奈――

 深夜遅くまで仕事三昧でテレビもろくに見ず、今時の芸能界にも疎い俺であってもその名と姿を知っている。そこからも、この少女のメディアでの露出度と知名度の高さが伺えるだろう。
 行きつけの食堂で、たまたま同僚と見たテレビ番組で彼女の母親についてとりあげていたのだが、海外留学中に彼女を身籠り、シングルマザーとして育てながらベンチャー企業を立ち上げた女傑として紹介していた。ちょうど、その企業が取引先が指定してきたマシンの開発元だったので強く印象に残ったわけだが、番組の後半では、翠河 玲央奈自身についても紹介していて詳しく知る事となった。
 父親譲りの綺麗な金髪と青い瞳の整った顔立ち、海外育ちらしい誰が相手でも物怖じしない態度で派手に見られがちだが、日本に住む祖父母の元に遊びに来た際にスカウトされ、小さいながらも新人発掘に定評ある事務所の方針で様々な事を叩い込まれ、それに文句も言わず真摯に打ち込む姿が映し出されていった。
 それによって基礎からしっかりと鍛えられた激しいダンスと高い歌唱力を武器に、ステージでブロンドを靡かせて謳う姿は神々しくもあり、今、もっとも幅広い層から人気を獲得しているアイドルであるのも頷けた。
 そうして、気が付けば芸能人に特に興味もなかった俺ですらも、今ではこの少女の歌声を耳にすると足を止め、画面の向こうで踊る姿に見惚れてしまう一人であった。

「いや……でも、そんなはずは……」

 そんな有名人が、このような場所にいるはずがない。いや、信じたくはなかったのかもしれない。他人のそら似であって欲しいという想いと共に、改めて目の前に倒れている下着姿の少女へと目を向けていた。
 まだ10代の少女らしい健康な肢体を残しながらも、レースを贅沢に施されたピンク色の下着の上からでもわかる十分な量感と形のよいバスト。そこから日々のレッスンで鍛えているであろう引き締まった腹部を抜けて張りのあるヒップから太ももへと走るラインは、もう十分に女性らしい雰囲気を醸し出していた。
 魅力的な大きく澄んだ青い瞳に今は恐怖の色を浮かべ、口元に強制的に噛まされた黒いリングの穴から綺麗なピンク色の舌を突き出したステージとはかけ離れた無残な姿であるが、目の前の少女はやはり翠河 玲央奈本人で間違いなさそうだった。
 先に起き上がった俺は、後手に拘束されていて仰向けのまま起きられずにいる少女へと恐る恐ると手を伸ばす。

「だ、大丈夫……」
「ひぃッ! い、いひゃッ!!」

 すると、少女はビクッと身体を震わせ表情をますます強張らせる。
 画面のむこうで常に毅然とした態度を崩さぬ印象であった少女がしめす反応に俺は戸惑い、一度は手を止める。だが、そのまま床に横たえたままにするわけにもいかず、嫌がる少女の背に手を差し入れると抱き上げるようにして強引に床から引き起こした。
 腕に伝わる柔らかな感触と鼻腔をくすぐる甘美な香り。それについ口元が綻びそうになる俺だったが、抱きしめた華奢な肩が小刻みに震えているのに気がついてしまうと、それもすぐに霧散した。

「なにを、そんなに……」
「くそッ!! あのぉジャジャ馬めぇッ、どこへ行きおったッ!!」

 激しい音と共に背後の扉が開き、禿げきった頭頂部を手で押さえた40代後半であろう中年の男が姿を現した。
 露出した肌を怒り心頭に達したとばかりに真っ赤な染め、目許を覆うマスクの下で血走らせた目をギョロギョロさせている。ぶ厚い唇の大きな口とたるんだ頬肉から俺は脳裏にアンコウを連想していた。
 そんな中年男が趣味の悪い色合いのタキシードの上からもわかる突き出たビア樽のような腹を揺すり、その下ではジッパーの合間から突き出た肉棒をそそり立てながら歩いてくるのだがら、俺はマスクの下でつい眉を顰めてしまう。
 だが、相手はそれに気づいた様子もなく、それどころか俺の事が見えていないかの様に一瞥もくれない。ただ俺の腕の中にいる少女を目にすると、金歯が並ぶ口を醜く歪ませドスドスと近づいてくる。

「おぉ、こんな所にいおったかぁ、ひひッ、さぁ、可愛がってやるからこっちに来んかッ」

 涎を垂らさんばかりにニタリと笑みを浮かべ、こちらに芋虫のような太い指を伸ばしてくる。

「……ひやッ」

 嫌悪を露わにする少女の悲鳴に、気が付けば俺は遮るように2人の間に身体を滑り込ませていた。
 立ち塞がることでようやく俺を認識したのか、中年男は露骨に機嫌を損ねた様子で俺を睨み付けてくる。

「あぁん? なんだ、貴様はぁ!? えぇい、邪魔だッ、早くどかんかッ!!」

 唾をまき散らし、腹に響く怒声をあげてくる。暴力と縁のない普段の俺ならば委縮するに十分な威嚇だったが、今は自分でも驚くほど心が落ち着いていた。

「聴こえぬのか、この若造がぁッ!!」

 そんな態度が気に入らなかったようで、目の前の脂ぎった頭部にみるみると血管が浮かんでいく。茹でダコのように顔を赤らめ怒鳴り散らし続ける男が吐き出すアルコールや煙草の臭いの混ざった息に内心でウンザリしながら、ただ無言で俺は相手を見つめ返していた。

(今夜は、いろいろありすぎて神経が麻痺してしまってるのかもしれないな……)

 先ほどまで相対していた支配人の眼光に比べれば、 目の前で偉そうに怒鳴り散らす中年男はキャンキャンと吠える小型犬程度にしか感じられない。
 背後に庇った少女が逃げる気配を見せないのを感じながら、騒ぎに周囲から人が集まり出してきているを確認する余裕すら今の俺にはあった。

(まったく、目立つのは避けるべきだったのに……これじゃ、暴れそうになった涼子さんの事をいえないなぁ)

 兎狩りの獲物とされた女性たちが男たちの好き勝手される光景にキレかかった涼子さん。その時の気持ちが少しながらわかったような気がして、つい俺は口元を綻ばせていた。
 それが目の前の男にどう作用するか予測するまでには、俺の経験値はまだまだ足りていなかったようだ。気づけば、その笑みを侮蔑の態度と受け止めた中年男の拳が俺の頬にめり込んでいた。

「き、貴様ぁッ!! 若造のくせに、この俺を愚弄しおってッ!!」
「……ぐッ」

 一瞬、痛みで目の前に星が舞いながらもなんとか踏みとどまる。そして、簡単に暴力を振りまわす相手に対し、俺の中で今まで抱いたことのない感情が発生していた。 
 それは例えるなら、心地よい演奏に聞き惚れている最中に突然、真横で無神経にボリボリと大きな音を立ててお菓子を食べられたような……なにか冒涜されたような、ひどく嫌な気分にさせられていた。
 そして、それを噛みしめると共に沸々と、とても冷たく凍てついた怒りが腹の底から沸き上がり、それが全身へと広がっていくのが感じられる。

「な、なんだ……うッ」

 それが相手にも伝わったのだろう、俺と目を合わせた途端、目の前の肩がビクリッと震えて後ずさっていた。

「き、貴様ぁ……お、俺に向かってなんだその態度はッ!!」

 それがプライドをさらに傷つけのだろう。怒りで肩を震わせ血走った目で俺を睨み付け、再び、殴りつけようと高々と拳を振り上げる。

「――ッ!?」

 だが、その拳が俺に振り下ろされる事は無かった。中年男の背後から伸びた手が手首を掴んで止めたのだった。

「ふーッ、やれやれ……」
「だ、誰だッ!? 俺の邪魔をするヤツはッ!!」

 怒りの矛先を向けようと振り向いた中年男。その背後に立っていたのは丸眼鏡をかけた長身の男だった。
 俺や目の前の中年男のように目元を覆うマスクをしてないところから、クラブの顧客ではなく運営側の人間なのだろう。
 だが顎に無精髭をはやかし、くたびれた様子の黒いスーツの姿は、洗礼されている他のスタッフとはあまりにも違う。かといって、細い身体つきは腕っぷしが強そうにも見えず、警備にあたる黒スーツたちのような殺伐とした気配も纏っていない。
 それでも、手首を掴まれた中年男や周囲に集まってきていた連中の反応から、その男がただ者でないのだけは理解できた。

「や……八咫……」
「やれやれ、困りますな、カネキ様」
「あ、いや……こ、これはだな……」

 それまで顔を真っ赤に染めて怒鳴り散らしていた中年男が、まるで精気を吸われているかのように覇気を失いみるみると顔色を白くしていく。
 対する男は、別段、怒っているようにも感じられず、その表情にはどちらかというと面倒くさそうな雰囲気すら伺えた。

(そもそも、殺気どころか気配……いや、まてよ。周囲にも注意を払っていたにも関わらず、俺はこの男の姿に寸前まで気づけていなかったじゃないか。中年男の背後に立つには、どうしても対峙していた俺の視界に入らなければおかしいはずなのに……)

 その事実の不気味さに、冷水を浴びせられたかのように背筋を震わせる。俺を支配しようとしていた冷たい怒りは消え去り、代わりに目の前の男に対する警戒が強まっていく。
 その俺を男は長い前髪の合間から一瞥すると、片方の口端をわずかに上げたように見えた。それが気のせいなのか確認する間もなく、男は中年男の耳元に口を近づけ囁いていた。

「ちょっと悪い酒が入って、少々はしゃがれてしまったようですな。今宵のところは、もう帰られた方がよろしいかと思いますが?」
「あ……あ、あぁ……そ、そうだな……そうするよ……」

 ガクガクと壊れた玩具のように首を縦にふる中年男の肩がポンポンと叩かれた途端、数分前まで傲慢なまでに怒り散らしていた人物が、まるで憑き物が落ちたかのようにガックリと崩れ落ちて床に膝をつく。そのまま腰が抜けたように立てずにいるのを、駆けつけた黒スーツの男たちが両脇から担ぎ上げ、黙っていずこかへと連れていった。
 そうして、あっという間に騒ぎも収まり、周囲で見ていた連中もすぐに散っていく。そんな彼らもまた、まるで目の前の男から逃げるように離れていったように感じられたのは俺の気のせいだろうか。

「やれやれ、とんだ災難だったな。口から血が出てるぜ?」
「え……あぁ……痛ッ、今さら痛みが……」

 顎に痛みを感じて顔を歪ませながら、俺はポケットから取り出したハンカチで口元を拭う。
 それをまるで観察するかのように見ていた男が、やれやれと鼻の頭を指でかいた。

「あの女に急に呼び出されて来てみたが……まぁ、正解だったかもな」
「え? それって……」
「あぁ、ナナだ。代わりにアンタを案内しろだとさ。まったく、俺を呼び出して駒使いさせるなんて、ここじゃ、あの女と紫堂ぐらいなもんだぜ」
「――ッ!? 貴方はいったい……」

 ナナさんと紫堂の両方の名が出てきたことで、安心するべきか警戒するべきか反応に苦慮する俺に、男はおもむろに懐から取り出した白いカードを差し出す。それを反射的に両手で受け取った俺は、視線を落として確認した。

『濡羽 八祥(ぬればね やしょう)』

 そう手渡された紙面には記載されていた。その名と共に携帯の番号らしき数字が書かれているのみのシンプルな名刺だ。

「外では、その名で情報屋をやっている。ここでは、『八咫(やた)』という呼び名で呼ばれているがな」

 そう俺に告げた男は、懐から取り出した細い葉巻を咥えると慣れた手つきで火をつけるのだった。

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