漆黒の椅子

 私がその現場に到着したのは、まだ薄暗い早朝の5時を過ぎた頃だった。
 赤いパトライトがいくつも光り、マスコミや野次馬で騒然としている倉庫街に到着したタクシーから降り立った私は、見張りに立っていた制服警官に挨拶しながらピンと張られた黄色いテープを潜り抜けると、廃ビルの中へと入っていく。
 中は既に鑑識が慌しく動き回り、時折、カメラのフラッシュがたかれている。その間を邪魔にならないように気を付けながら奥の部屋へと入っていくと、私を冷ややかな声が出迎えた。

「遅いわよッ!!」

 そう言って私を出迎えたのは、上司である蒼井 光(あおい ひかる)課長だった。
 女性にしては長身でグレーの地味目のスーツを着こなしているのだが、その上からでも思わず見惚れてしまうようなプロポーションが見て取れる。とくに豊満なバストは、腕組みされた手で持ち上げられ、ますますその存在感をアピールしていた。
 肩まである黒髪をアップでまとめた彼女は、警視庁のポスターにも採用された整った美貌をこちらに向けて立っているのだけど、もちろん、そこに浮かんでいるのは優しげな笑顔でなく、柳眉をつり上げた不機嫌そうな表情であった。

「新人でありながら重役出勤とは……いいご身分ねッ!!」
「すみませんッ!!」

 ただでさえ低血圧で朝が苦手な彼女であるのに昨夜は深夜近くに帰宅しているはずだから、きっと寝付いたところ叩き起こされたのだろう。一部では追っかけもいるという彼女のファンにそんな不機嫌そうな姿は見せられないなっと内心苦笑いを浮かべながら、私は素直に頭を下げた。
 
「……で、ガイシャは?」
「ふーっ……既に救急車で運ばれたわ」

 顔を上げた私の顔に反省の色が無いのを見て取ると、彼女は疲れたように大きな溜息を付く。だけど、すぐに苦笑いを浮べた。

「これで、6件目ですね」
「そんだけやられて、未だに有力な手掛かりが掴めないなんて……」

 悔しそうに唇を噛む彼女を横目に私は周囲を見渡した。すると、部屋の最深部に大きな椅子がポツンと設置されているのが目に入った。

「こんな特殊な物が残されているのに……」

 それは奇妙な椅子だった。
 背もたれが異様に高いガッシリとした漆黒の肘掛け椅子なのだが、その4本の足は異様に長く、私が座っても靴底が床に届かずにブラリとなっていまうほどで、それが動かないように床にハーケンでしっかりと固定されている。
 本来、座るべき座席部分には大きく三角形に抉れており、大股すわりでもしないとズレ落ちてしまいそうで、明らかに普通に座られる用途で造られたものではなかった。
 そんな前足、座席部分、肘掛、背もたれに幾つものベルトが備え付けられており、まるで拷問器具のような異様な雰囲気を醸し出している。
 それを煌々と照らすように室内にはハロゲンランプがいくつも設置されており、その周囲に何台ものカメラが備え付けられていた。

「……誘拐、監禁、暴行……これだけの事をして、ホシは何が目的なのでしょうね?」
「とっ捕まえれば、すぐに分かるわよッ!!」

 彼女は苛立たしそうにそう吐き捨てると、鑑識の方へと歩いていった。
 それを見送ると、私は再び椅子へと視線を戻した。
 
 ここ半年で著名な有名人、それも美女ばかりを狙った誘拐監禁事件が多発していた。
 攫われた被害者は人気の無い場所に監禁され、全裸に剥かれると目の前の椅子へと拘束される。そして、取り付けられた淫具で延々と嬲られ続ける光景をネットで流されていた。

―― 延々と疲れをしらぬ機械に犯され続け、その姿がネットで公開される ――

 それによって、被害者たちは心身に深いダメージを受けて未だに入院をしている者達も多かった。よしんば回復したとしても、今まで通りの生活は望めないだろう。
 当初は復讐説も囁かれていたのだけど、その被害が広がるにつれて愉快犯説が濃厚になってきていた。

 モデル、アイドル、映画女優、弁護士、市議会議員、大学教授……テレビや雑誌でも見かけた美女たちが次々と謎の犯罪者の毒牙にかかるのに、それに対して警察は大きな成果を挙げることができなかった。
 そんな経緯もあって、当初は犯人像で盛り上がっていたネットでは次の被害者は誰か?という話題に移っていき、しまいには次のターゲット候補を募るサイトまで出没する始末だった。

「次の被害者……か……」

 強力なライトの光を浴びて妖しい光沢を放つ漆黒の拘束椅子から、私は目を離さずにジッと見つめていた。



 捜査本部が設置されて捜査員も大幅に増員されたにも関わらず、それからも捜査に大きな進展はなかった。
 次第にマスコミは不甲斐ない警察を叩き始めたのだけど、たまたま捜査現場に張り付いていたレポーターが蒼井 光にマイクを向けた事で事態が少しだけ変わった。
 叩かれて困惑する美人捜査官の様子でもお茶の間に流そうと期待していた邪なレポーターの目論は外れ、彼女はカメラに向かって冷静に理路整然と事態を説明すると共に、悪いのは犯罪者であると毅然と言い放った。その態度と美貌にマスコミもネット住人も食いつき、それに便乗した警察上層部も矛先をかわそうと彼女を表に立てることが多くなった。

「私は、外交官でも客寄せパンダでもないわよッ」

 TVへの出演を終えた彼女は出迎えた私の車に乗って2人っきりになると、気が緩むのかついつい口が悪くなってしまう。そんな彼女をバックミラー越しに見ながら、私は苦笑いを浮べる。

「まぁまぁ、課長のお陰で私たちは捜査に集中できてる訳ですし……」
「成果が上がらなければ意味が無いわよッ」

 私の言葉に、本来の捜査官としての鋭い目に戻る彼女。その姿を私は逆に微笑ましく思い、密かに口元を綻ばせた。
 そんな彼女の為に用意しておいて助手席に置いておいた品を、手に取り差し出す。

「このポットに課長の大好き紅茶をいれておきましたので、よかったら、どうぞッ」

 撮影中、強いライトを浴びながら会話をしていた彼女は喉が渇いているだろう……そんな、私の気遣いに少し嬉しそうにすると、私の用意した紅茶に美味しそうに口をつけた。

「……美味しい」
「カンヤム・カンニャムの茶葉です。変わった風味でしょ?」
「そうね……好きな風味かも……貴女もこういう趣味があったのね」

 そう言って、紅茶の風味を楽しみながら口元を綻ばせる彼女だったけど、しばらくすると、疲れたがドッと出たように瞼を重たげにし始める。

「少し……疲れが出たみたい……」
「捜査にマスコミの相手ですからね。今は女2人だけですし、自宅に到着するまでの間だけでも気兼ねなく休んでてください」
「そう……させて……もらうわ……」

 そう言うと、すぐに彼女は後部座席に身を埋め、静かな寝息をつき始めた。

「はい、ゆっくりお休み下さい」

 無防備なその姿をバックミラーで見つめながら、私はニッコリと微笑むのだった。